友達の暗い過去を知る
八月十九日(金)砂原
野田君が全く屋上に姿を見せなくなった。不思議に思い昼間病室を訪ねてみると、具合が悪い訳ではなさそうだった。しかし僕が何を言っても「ちょっとね」と言ったきり、夢遊病者のような目でテレビを眺めている。事情を聞こうと屋上に連れ出し、野田君を問い正した。
いつものベンチに座ってもしばらく心ここにあらず、という感じでぼんやりしていた野田君は、やがて決意したように一度大きく息を吐くと、右のまぶたと眉の間あたりを指差し、「これ見ろよ」と低い声で言った。
そこには爪で引っ掻いたような、二センチ程度の傷があった。言われてみないと分からないほどの小さな傷だった。しかしその傷は本人にとって重要な意味を持っていた。右のまぶたに刻まれたその線は、高校時代にいじめられてつけられた傷だと言う。
「昼休みの間、そいつは俺のギターをふざけ半分でいじって、チューニングをめちゃくちゃにしようと弦を思いきり巻いていたんだ。そこに俺が帰ってきて、何やってんだ、って揉み合っている内に弦が切れた。目をつぶってなければ失明してた」
まぶたの傷はそれほどのものではないように見えたが、野田君の心には大きな傷を残したようだった。そしてその傷は、野田君の心に今も影を落としていた。
「だからさ、そいつに復讐するんだ」
復讐。それはどこか遠くの国の言葉のように聞こえた。野田君の目を見ると、深い沼を覗き込んだ時のような寒さを覚えた。
「今度の火曜日、そいつが駅前のライブハウスでライブをやるらしい。そこに乗り込んで、めちゃくちゃにしてやる。高校時代、バンドやってた俺らを散々バカにしてたくせに」
それは本当に野田君の口から発さられた言葉だったのだろうか。あの大人しい、殴り合いなんてしたことのないような涼しげな顔をした野田君が。
「復讐って、何をするの」
ようやく絞り出た言葉がそれだった。本当はもっと違う、例えば「何で今さら」とか、「今頃やり返すなんて卑怯じゃないか」とか、言うべき言葉は山程あった。
「あいつの目にも傷をつける。僕にしたのと同じように」
野田君が自分の右目を縦に指でなぞった。女の子のような、か細くて白い指だった。
「目は傷ついていないだろ。まぶただろ」
「同じことだ。幸運だったらまぶただけで済むかも知れないし、もしかしたら目まで傷つくかも知れない。いずれにしろ、あいつには僕と同じ目にあってもらう」
「どうやって」
「ギターで殴る」
そこまで言うと野田君は「もう終わりだ」と言わんばかりに片手を振り、その場を去った。残された僕は野田君に声もかけられず、ただ途方に暮れた。