病棟を徘徊する
朝食のあとで、病棟内を少し歩いてみた。三階はエレベーターを降りるとまずナースステーションがあり、その隣には「回復室」という名の部屋がある。タカヤマさんに聞くとそこは重症の患者が入る部屋らしく、何かあったときすぐ対処できるようにナースステーションのすぐ横にあるという。そこから三〇一、三〇二、三〇三、と四と九を抜かして突き当たりが三一一号室まであり、エレベーター側の端からリネン庫、私物庫、三一二、三一三、洗面所、男子便所、女子便所、汚物処理室、浴室、階段、三一五号室。私物庫にはひとり一ずつ木製の戸棚が与えられており、頻繁に出し入れしないものを収納できる。三○三、三一〇、三一一、三一五が六人部屋で、あとはすべて三人部屋。ほとんどの三人部屋には二人以上の名札がかかっていたが、部屋が狭い分、窮屈そうだ。
三階の回復室のあった場所には休息室と書かれた、中に大画面のテレビと灰皿のある部屋があり(結核患者がたばこを吸ってもいいのか)、向かいには入院の際、篠原看護婦に説明を受けた「面談室」と、リネン庫と私物庫があった場所には、大量のマンガ本とソファが二つ並ぶ「談話室」があった。あとは同じ構造のようだが、二階は三階に比べて空き部屋が目立つ。
二階の廊下を一往復し、更に階段を降りた。人気もなく、二三階と一回はまるで様子が違う。「処置室」の奥を覗いていると、背後から声をかけられた。振り返ると隣のベッドのモリオだった。
「僕ら結核患者だから、あまりうろうろしていると怒られますよ」
ジャージ姿にサンダルで、手にコンビニの袋を提げている。
「そうか。でもこの奥って何があるの」
「知りません。僕も前に行こうとしたことがあったんですけど、看護婦にあまり歩き回るなって怒られて。病院の中にも売店はあるけど、外来の患者さんからじろじろ見られるから、誰も行かないんです」
僕の視線の先に気づいたのか、モリオは袋からスポーツ新聞を取り出しそう答えた。
「コンビニ行ったのに、マスクしてないの」
「結核の菌は薬を飲み始めたら二週間で消えるそうです。あとは安静にしてるだけ。散歩なら皆勝手に行ってますよ。外泊には許可がいるけど」
外に行く時にはマスクをせず、病院内ではマスクをする。確かこの男はそろそろ二ヶ月だと聞いた。外泊してもいいのだろうか。
「大沢さん、年いくつですか」
「二十八」
「じゃあ僕よりふたつ上だ」
「二週間経てば、マスクしないで出歩いていいの」
「いいとは言わないけど、黙認ですね。そんなもんですよ。逆にマスクして散歩していた人がいて、近所から病院にクレームが来たことがあるって。結核患者が外に出てるんじゃないかって。でもここはリハビリとか他の病棟もあるから、マスクしてなければ何の病気で入院しているか分からないんですよ。分からなければ何も言われずに済むから」
こんな屈強な男でも結核になるのだから、不可抗力なのだろう。院内の探索はやめて、モリオと部屋に戻る。病室ドアの名札を上から順に見ると、「モリオ」は名前ではなく苗字だった。枕元のプレートにも「森尾泉」とある。血液型A。目を疑ったが「君の名前、モリオイズミっていうの」と聞くと「はい」と答える。モリオ、どうしてあなたはモリオなの。
「俺が入院している間にさ、周りがまた役員やってくれって、勝手に決められちゃったんだよ。俺はもう引退したいのにさ」
病室に入ると二瓶さんが浅田さんを相手に深刻な顔で話をしていた。そこら辺にいる爺さんに見えたが、実は会社役員だったのか。「すごいですね」と声をかけると
「すごくないよ、町内会の役員なんて。やれ夏祭りだ、カラオケ大会だってさ」
そうなんですか。会社だろうが町内会だろうが、退院後の進路が決まっているのは羨ましい。
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