美しい日々

 八月三十一日(水) 砂原

 夕食を食べながら、窓の外の景色を眺めていた。夕焼けでオレンジに染まった芝生の上を、ボールをくわえた白い犬が、飼い主めがけて走っていく。

 そろそろ僕も、ここを退院する頃だろうか。数日前ふらりと現れた榊さんを見て、外の世界にいることへの嫉妬と羨望を覚えた。しかし同時に、外の世界へ戻ることは、今の生活が終ることだと気づき、寂しく思った。入院当初はあれだけ疎ましく思っていた、ここでの生活を。

 病室での生活はそれまでの時間の流れを断ち切ったが、代わりに今までの僕の生活にはなかった、様々な人との出会いをもたらした。

 見舞いに来た娘さんに「ありがとう」と言われて、照れていた福留さん。

 いつも関さんを気にかけ、散歩に誘ってあげていた田渕さん。

 慌てず騒がず冷静沈着、奥さんは美人、正しい社会人の見本のような榊さん。

 自分の一番好きな音楽を仕事にしようと、入院中までギターを離さない野田君。

 入院生活が終わり、元の世界へ戻っていくことを不安に感じる。僕がいない間に、僕がいない時間の分だけ進んでしまった世界。

 大学の授業はどの位進んだだろう。無事に四年で卒業できるだろうか。卒業した後、ちゃんとした社会人になれるだろうか。今悩んでも仕方のないことばかりが、頭の中をぐるぐると回る。

 こうして病室の窓から外を眺め、不安に押しつぶされそうになったことを、未来の僕は思い出すだろうか。ここでの生活を思い出し、忘れないために、時々誰かに話すだろうか。

 そうだ。僕はきっと思い出す。辛いときや悲しい時ではなく、意識もしない、ふとした日常の瞬間に。

 いつかは終わってしまう、この、美しい日々のことを。

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