何の決意もなく入院する
気持ちとは裏腹に道は空いていて、すぐに病院に着いてしまう。午後になり外来の患者も減ったのか、駐車場に停められた車の数はまばらだった。空いているのに、つい両隣に車がある所を選ぶ。エンジンを切り、ドアを開けると森の匂いがした。
トランクから荷物を出し、意を決して一歩踏み出す。さっきは外来病棟から渡って入ったので気付かなかったが、外壁には立派な「東病棟」の札がある。黒地に金文字で校門のようだ。猫の鳴き声がしたので振り返ると、門の前に停車したセダンの屋根に黒猫がいた。
建物の中へ入り、背後で自動ドアが閉まる音を聞いた瞬間、一気に外の世界と断絶されたような気がした。退院するのは夏も終わる頃か。エレベーターに乗り、三階のボタンを押す。分厚いドアが閉まるとため息が出た。
さっきは気づかなかったが、階数ボタンの下に「開閉」と見慣れぬ「解放」がある。開閉と解放。エレベーターから降りる時「解放された」と感じることは確かにある。三階のナースステーションを覗くと篠原看護婦が出てくると思ったが、別の看護婦が出てきた。
「あ、大沢さんね。じゃあお部屋にどうぞ」
長い廊下の突き当たり、左手の部屋に案内される。辿り着いた部屋のドア上部には「三一五」という札があり(やはり学校のようだ)、折り紙の鶴が一羽、その下で揺れていた。病室に入り、看護婦が手を叩く。
「皆さんちょっといいですか」
その声に反応するように、仕切りのカーテンが次々に開く。
「こちら、今日からここに入院されることになった、大沢さんです。何だか、ハンドボールの選手だそうです」
「あの、バスケです。バスケットボール」
「ああそう。まあ、似たようなもんでしょ。さあ、大沢さんのベッドはここね。
全然違うだろと言いたいのを我慢し手招きに従う。僕のベッドは入り口から向かって左側、やたら体格のいい青年(廊下側)と、小柄な老人(窓際)に挟まれた真ん中だった。荷物を置くと、看護婦に同室の患者を紹介される。
左隣の体格のいい青年は「モリオさん」。禿頭の小柄な老人は「ニヘイさん」。反対側、窓側ベッド、パーマで強面おじさんは「タカヤマさん」。僕の向かいの真ん中は空きで、廊下側、線の細そうな白髪のメガネ老人は「アサダさん」。それぞれに会釈をしたが、なぜあの青年だけモリオと下の名前で呼ばれているのか不思議に思った。単に仲がいいのか。中年看護婦と屈強そうな若者のただならぬ関係を想像し、すぐに打ち消す。いずれにしろ名は体を表すとはこのことだ。モリオ、どうしてあなたはモリオなの。
モリオ君に微笑みかけながら自分のベッドに座ると、自分が同室の患者全員の視線を集めていることに気づいた。「宜しくお願いします」と挨拶すると、それぞれに会釈される。ベッドに座ると、隣のモリオが「僕も、学生時代はラグビーやってました」と人懐こそうに言う。
「すごいね」
言われなくても、何となく見れば分かる。わざとらしいほどの笑顔を作って、「よろしく」と応えた。
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