思い出の「フィルム」
最近フィルムカメラにハマっている。
GooglePhotoでバカバカ写真を保存していて、人から「The Storage.」とあだ名されていたぼくが、今更効率の悪い過去のテクノロジーに心を奪われてしまった。
めちゃくちゃベタだけど、フィルムカメラは本当に面白い。
デジタルにはない独特の色合いや質感が良いというところももあるが、何より「一枚一枚が大切に撮影する」という「取り組み」自体が面白い。
デジタルだと、気楽に何百枚も撮れるが、フィルムカメラは一本のフィルムで30枚そこそこくらいしか撮影できない。
しかも撮ったものを確認することもできない。
だからこそ、貧乏学生が自動販売機の前で小銭を数えるように深刻そうに焦れながら、えいやと写真を撮ることになる。
これがめっちゃ楽しい。
昨今、フィルムは本当に高い。それだけじゃなく撮影しても現像代はかかるし、そもそも生産を取りやめる企業も増えてきており、フィルムの入手自体が難しくなってきている。
撮影後にすぐ確認できないわ、値段は高いわ、入手も困難になってきているわで、もはやフィルムカメラはすっかり時代に取り残され、まさに風前の灯火である。
これはとても残念なことだと思う。
デジタルの発達は便利で素晴らしいが、フィルムカメラの持つ「味わい」がごっそり失われてしまうのはどこか虚しい気もする。
落合陽一と東浩紀が対談で「ぼくらはこの20年くらいの間、コンテンツの意
味を勘違いしていたのかもしれない」と語った。
これは【例えば本であれば書かれている内容だけを取り出し「本=コンテンツ」とすることで、質感やこれまで得られた体験の諸々を捨ててしまっているのではないか?】ということなのだが、ぼくはフィルムカメラをの体験を通してどこか共感する部分あった。
デジタルカメラで撮った写真よりも、フィルムの写真はよりリアルで感情的な印象を受ける。そのデータ量はデジタルの何倍も小さいはずだが、なんとなくそう感じる。
これはただのノスタルジーだろうけど、もしここに「失ったなにか」があるのだとしたら、それらを見つけるきっかけとして、僕はフィルムカメラを使い続けようと思ったりした。