
努力しないための言い訳をしているだけなのです。
行動のためのエネルギーが湧かないとかなんとかって何度も書いているけれども、それって結局、努力しないための言い訳をしてるだけだなーと思う。
自分がこれまで自分自身の元々持っていた能力や素質に頼って生きてきて、何か特定の力やスキルを伸ばすために意識的に地道な努力を重ねてきた経験が無いからいけないのだと思う。
もっと早いうちに壁にぶつかっておけば、もっと早い段階から努力の必要性を心の底から理解し、腹落ちした状態で人生を生きていけたのかもしれないけど、もう28歳になってしまった。
とはいえ、今からでもまだ遅くないと思って生きていかねばならない。何事もなければ、あと30年以上はこの人生が続くのだ。努力による達成経験を、小さいスケールから実感できるように取り組んでいかなければならない。
そのために、よく周りからおススメされるのが筋トレだ。筋トレは、適切な実施方法と食習慣を身につけさえすれば、それ以外のさまざまなスキルの獲得に向けた努力に比べて、やればやるだけ成果が出てほぼ必ず報われるとのことだ。
そういう意図もあって、最近は毎日腕立て伏せをしている。
こういうルーティン的なことは、比較的得意だ。特に意味を考えずにできるところがある。
しかし、それは意識的な努力なのかと言えばそうではない気もする。過去の事例で言えば、自分がピアノやバレーボールのスキルを身につけたのも、それは決して意識的な努力ではなかった気がする。「ピアノを習っているから、毎日練習しなければならなかった」とか、「バレーボール部に入っているから、たまたま毎日練習があって、それに忠実に参加していた」とか、そういう感覚で、自分から「上手になりたい」と思って努力していたわけではない気がするのだ。
ある視点から言えば、「努力と思わずに努力できるのは才能だ」という言説もありそうだが、それもなんだかこの感覚を言い当てていない気がする。惰性的に、秩序を維持するような感覚でルーティンを継続するのが得意なだけで、それは決して前向きな思いに基づくものではない。
このnoteでさえも、毎日書いているが、それもあくまで自分の中での秩序の維持に根差すものだ。毎日更新を途切れさせると、なんだか自分的に気持ちが悪いだけだ。
なんだかモヤモヤする状態が続いている。
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