優秀で無欲なヤツ。

自分で自分のことを優秀だと言うつもりは無くても、周りの人たちからそのように評価されることがある。

優秀な人間として見られるとき、多くの場合は好意的に見られているのだとは思う。純粋にその知的能力やタスク処理能力が高いことを褒められたり、信頼に足ると思われたことは、自分の過去を振り返ってもよくあったことだ。

一方で、それが反感を買ったり、あまり良く思われないこともある。昔よくあったのは、テストの点数の高い低いで勝手に勝負しようとしてくる相手だ。自分は点数に対して特に何も気にしていないのに、相手から勝手に対決姿勢を取られるのが私は苦手だった。

他のパターンとしては、自分は自分のできることを精一杯やっているだけのつもりでも、周りの人たちに劣等感を与えてしまうことがあるようだ。例えば、同じ役割の仕事を私ともう1人とでそれぞれやっているとき、相手からすると難しい仕事を自分が何の気なしにこなしている様子を見ることで、必然的に差を感じてしまうようなのだ。

こういう経験に対して、過去の私はどのように思えばいいのか正直わからなかった。自分の正直な感覚としては「ただ自分なりに生きている」だけなのだけど、それによって周りの人たちを不幸にしてしまっているのだとしたら、やはり私は周りの人とは距離を置いた方が良いのではないか、と思ったりもした。

こうした状況を奢ることなく、かといって卑下することもなく、「謙虚に」向き合っていかねばならないと思い私は、「自分自身の仕事のスピードの速さや行動力・実行力に追いつけないことに苦しさを感じる人もいるから、自分の頭の中では好きなように考え、自分個人の行動は勝手にどんどんやっても良いが、その様子を外にはなるべく見えないようにする」という行動原理のもとで行動するようになった。私があまり積極的に自己アピールをしない性質を身に着けたのは、このことがあったからかもしれない。

とはいえ、私より仕事ができる人なんて探せば当然いくらでもいるわけで、その行動原理自体が非常に狭い世界の中を生きるために必要とされたものだったな、と今考え直すと思う。大学から大学院へ進学し、自分よりももっと頭が良かったり仕事ができたりする人たちと出会ってみて、「こういう世界で生きていくためには自己アピールが必須なのだ」ということにも気づいた。

しかし、自分としてはあまりそこに対して気合いが入るような感覚すらも無く、「もっと上り詰めたい」「もっと認められたい」のような欲望もあまり湧かない。

私を6年以上指導してくださった先生は教育に対しても思い入れがある人ではあるのだが、「能力はあるのにやりたいことがないやつは初めて見たからどうしていいかわからない」と言われてしまった。逆に、ある人は「優秀で無欲って唯一無二だよね」とポジティブに言ってくださって、それはありがたいことなのだが、自分の能力の向かう先は一体どこなのかはわからないままだ。

自分のためでないとすれば、他者や社会のためなのか?何か自然の対象物なのか?しかし、それでもあまりエンジンがかかる気がしない。だとしたら私は一体どこに向かうのだろうか。

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ともやの思考整理note
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