10年計画は何度も立てられない。

今年30歳になる節目の年を迎えて、早くも「40歳になるときに自分は何を考えているのだろうか」などとふと思うが、あまり明確なビジョンは描けていない。そのときどのような生活を送れるようになっていたいだろうか?どういう状態が実現していたら幸福度が高いだろうか。それによって、次の10年間を一体どのように過ごすべきかも決まってくるはずだ。

人生10年を使って何かに取り組めば結構大きなことができそうな気がしなくもないが、そのような大掛かりなことでやりたいことがまだ特に思いついていない。なんでもいいのだと言われても、そこに向かってならエンジンがかかりそうだ、みたいな物事は今のところあまり見当たらない。

しかし、実は10年計画というのは何度も立てられないということにも気づく。仮に健康寿命が80歳だとしても、それまでにあと5回分だ。これを、「5回分もある」と考えるか「5回分しかない」と考えるかは人によって異なりそうだが、私は今のところ「5回分もあるのか~」と余裕をかましてしまっているのが正直なところだ。学生時代に指導教員だった教授にも准教授にも、「やりたいことが思いついてから取り組むのでは遅い。少なくとも目の前のことはきちんとやっておきなさい」と言われた。これはおそらく真理だ。しかし、なかなか身体が動かないのもまた事実だ。

私は今人生のどのようなタイミングに置かれているのか、と考えてみた。

古代中国の五行思想を参照すると、人生を4つの季節に当てはめて説明しているらしい。私なりにそれを年齢層で分けて考えると、生まれたばかりの幼少期は人生の春が訪れる前の「玄冬」、10代から20代にかけては成長期であるいわゆる「青春」、30代から40代の一番脂がのった時期が「朱夏」、50代から60代がプレイヤーとしては一線を退くタイミングの「白秋」、70代以降は再び「玄冬」に戻る、というように解釈できるのではないかと思う。

その中で、30歳というのはちょうど「青春」が終わり「朱夏」に向かう切り替えのタイミングにあたる。ここから40歳までの10年、40歳から50歳までの10年、合わせて20年の「朱夏」の時期の過ごし方も考えておかなければならない。世の中的には一番の働き盛りと言われる世代なのかもしれないが、少なくとも今の私にそこまでのエネルギーは湧いてきていない。

こうしたエネルギーの源泉は、おそらく「好奇心」なのだと思う。今の自分からエネルギーが失われているとしたら、それは好奇心が失われているということだ。今一度自分の好奇心が発動する瞬間を大事にして、それを生きるエネルギーへと変えていかねばならない。そうでなければ、私にとっての生きる意味も決まらなければ、10年計画などもっと決まらないのだ。

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ともやの思考整理note
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