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責任を取るのに疲れた気持ちを晴らしたいのです。
私が以前見出した自分自身の行動原理は「ネガティブな影響を避ける」というものだ。
それとはまた別の概念で、自分自身の行動を決めている要素として「責任」という概念がある気がしている。何らかの物事に対して「責任」が発生すると、それを「果たさなければならない」というポジティブ・ネガティブ両方の意味合いで、無意識のうちに自分の行動が制約されるように感じる。
これは、冒頭に述べた「ネガティブな影響を避ける」とどのような関係にあるだろうか。その共通性はあるだろうか。どちらが上位に位置する概念だろうか。
このように考えて書きながら思ったことは、やはり「ネガティブな影響を避ける」が行動原理としては妥当だろう、ということだ。
なぜ私が「責任を取らなければならない」と感じているかというと、その責任を果たさなかったときに発生する事象として、やるべきことが終わらなかったことによる自他への実害とか、他者から自分自身への信頼の失墜とか、そういうネガティブな影響を受けたくないからだ。
加えて言うなら、そうやって今までいろんな責任を自分なりの形で果たしてはきたものの、その責任が徐々に大きくなることによって、それが重圧となり、ある意味で「もう責任を取ることに疲れた」という感覚がしてきている気もする。
世の多くの人々からすれば、「全然まだまだ序の口だぞ」と言われるような責任範囲の仕事や取り組みしかしていないのだとは思うが、自分の主観的にはそう思う。
本当は、そういう責任さえも「ポジティブに」取っていきたいという気持ちもある。その方が人生は楽しく生きられそうだ。
しかし、本能レベルで自分の体が反応していることについて、どれだけうまく対処していけるのかどうかは正直わからない。
自分の行動をドライブさせるための動機づけとして、知的好奇心でドライブしていくのか、他者への貢献感でドライブしていくのか、何とかネガティブでないやり方で行動をドライブしていけるようなものを考えたい。
そのためのカギは、その行動や思考の対象に興味を持つことであり、興味を持つために好奇心と驚きとリスペクトを持って接することだ。まだまだ知らない世界がたくさんあるぞ、と思うことだ。
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