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適切に心の整理をしたいのです。

不思議だ。

人間は、自分が向かいたい人生の目的地も、そこに向かうための正攻法もある程度決まっているというのに、それを実行できないことがある。それは、本当に自分の心に正直になって決めた目的地であっても、先人たちから学んだ有力な正攻法であっても、である。どこかで心の整理がついていないからこそ、実行に移すことができないのだ。

その根本的な要因は何か。

おそらく、自己肯定感が低いからだ。自分に自信がないからだ。

これまでの私は、特にやりたいことがない状態で生きてきた。何となく向かいたい方向性はあったが、具体的な行動レベルにまで落とし込んで実践してきたようなことはなかった。

そういう中では常に、他者からの依頼を丁寧にこなすことが私の生きる道だった。別に自分こそがやりたいことが無いから、誰かのお願い、誰かを助けること、困っている人のサポートなどに自然と身体が動いた。

一般に、他者に依頼されたことや求められたことに素直に取り組んでいるうちに、自分に本当に向いている何かが見つかるかもしれないと言われることもある。加えて、任せられた仕事に対して、何か少し+αを乗せて丁寧に取り組むことを続けていれば、いつかどこかのタイミングで「この人はここで留まるような人じゃない」と、誰かが見つけて引っ張り上げられる可能性がある、という言説を聞いたこともある。

だから、私としてはそれでも別に良いと思っていた。このまま人に依頼されることをとにかくこなし続ければ、ニーズのある環境に居続ければ、何らかの形で他者の役に立つことができる。

ところが、この数年で自分自身の自我のようなものが芽生え始めた。「本当に自分がやりたいことをやれ」という言説に感化され、一旦研究活動から離れて、本当の(かどうかわからないが)興味関心にしたがって動いてみた。

そうしたら、実際に人生は変わり、前に動き始めている感覚もあったが、それは必ずしも救いに近づいたわけではなかった。逆に「やりたいこと(成し遂げたいこと?)」に縛られて、身動きが取れなくなってしまったように感じた。

ここ数年苦しかった原因は「やりたいことをやるべし」という言説に縛られていたからではないか?この世界では、本当は自分のやりたいことなどやらなくてもいいのではないか?私にとって正解となる生き方は、他者の期待に応えること、他者の困りごとに対して、自分のできる形で力を発揮すること、与えられたポストの中で役割を発揮することであり、それが最も身に馴染む生き方なのではないか?それが私にとっての正解と思って生きて行ってもいいのではないか?

そう考えると、生き方って選べないんだなぁと思ったりもする。生まれつきの性質と、大体幼児期くらいまでの生育環境によって決まる性質によって、自分の身に馴染む行動スタンスは決まってしまうし、そのスタンスには必ず一長一短がある。

しかし、本当に自分がやりたいこと、向かいたい人生の目的地がうまく決められるならば、そこに向かっていくに越したことはない。

自分に自信を持ちながら、自分の性質に抗わずに自然に生きていくためには、そのスタンスをどこかのタイミングで自覚し、それに沿った形で他者貢献と自己実現のバランスを取りながら生きるしかないのだろう。

適切に心の整理をした上で、その目的地に向かって焦らず進んでいきたい。

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ともやの思考整理note
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