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心からの感情がないという欠落。
最近の自分を見直す中で、まずは自分の身の回りにあるもの、自分がすでに持っているものにしっかりと目を向けて、感謝の気持ちを持たなければならないと思っている。
今私が持っているものは何だろうか。感謝できる対象には何があるだろうか。
まず、今こうしてPCを使って文章が書ける安全な場所と環境がある。満腹になる程度の食事が得られる。先日モーニングノート習慣を始めるための合理化のためにローテーブルをすぐに買える程度の経済力がある。その収入源である大学に籍を置かせていただいている。そこで取り組むべき仕事がある。自由に時間を使える裁量がある。実際に自由に時間が使えている。
人間関係はどうだろうか。自分に対してネガティブな感情をぶつけてくる人は身の回りにはほとんどおらず、大学の人たちも、探究横丁で関わる人たちも、地域活動で関わる人たちも、仲良しの友だちも、優しく寛容な人たちばかりだ。こんな私のような人間とも付き合っていただけてありがたいことだ。
と、ここまで書いた文章を自分で振り返って、冒頭に私は「感謝しなければならない」と書いているが、「しなければならない」と思っている状態ってそれで本当に良いのだろうか?
感謝の気持ちって、心の内から自然に生まれてくるのが普通な気がしているのだけど、今私は無意識のうちに「しなければならない」と義務的な書き方をした。これはどういう感覚の現れなのか?もしかして、実際には心から感謝しているわけではないということなのか?
もちろん、今私が置かれている環境には本当に感謝しているのだが、一方で上記の問いに対して自信を持って「それは違う」と答えきれない自分がいるのも事実である。自分の感覚としても、本当は自然に心からの言葉としてそういう発言や発信をしたいのだけど、どこか自分の言葉が空虚に響いているような気もする。
私が本当に心から「ありがたいなぁ」と感じた経験は過去にあっただろうか。よくありそうなパターンは、誰かにすごくお世話になったとか、困ったとき誰かに助けてもらったとかだろうけど、正直に言えば、その状況を思い出せるほどの経験はしたことがないかもしれない。
加えて、そもそも私が「心から」何かを思ったことがあったか?伝えたい思いを「心から」持ったことがあったか?その経験そのものが少ない気がする。基本的な心の動きの振れ幅が小さい人間だからそうなってしまうのかもしれない。
結局、そのように「心から何かを思う」「心から何かに感謝する」という経験そのものが少ない自分の薄情さに、どこか気持ち悪さを感じるのである。
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