やりたいこと、やったことがないこと、やるべきこと。
先日、「死ぬまでにやりたい100のこと」をひねり出したことを記事に書いた。
これをつくってみて、いろいろと感じたこと、考えたことがある。
まず1つに、一度こういうリストをつくる経験をすると、日常生活の中で「あ、これはこのリストに加えられそうだ」とか、「あ、そういえばこれはまだやったことがなかったかも」というように、自分の未経験なことに対する気づきの感度が上がっているような気がする。これにより、周りの人の発言や自分の中でのひらめきなどから得られた新しい項目がいくつか追加できそうになっている。
また、先日の記事に書いた「やりたいこと」は、必ずしも「死ぬまで」を想定できてはいないように感じている。というのも、中には「1人焼肉をする」とか「回らないお寿司を食べる」とか、やろうと思えば明日にでもできてしまうことも多く並んでいて、要するに、各項目を達成するまでの時間スケールに対する考慮が不足しているということだ。
さらに言えば、各項目の目標としての性質もそれぞれやや異なっている。厳密に言えば、「目標達成型(1度でも実現すれば達成したと判断できるもの)」の項目と、「習慣型(死ぬまでその状態や習慣を継続することが望ましいもの)」とでは、取り組むスタンスも実現するまでの方法論も少々異なってくるだろう。
この辺りを「目的」「取り組むスタンス」「実現までの方法論」「達成までの時間スケール」などの項目を設けてもう少し丁寧に分けて整理しておくことによって、よりクオリティの高い「やりたいことリスト」にしていけるのではないかと思う。
もっと思考を進めると、もはや「やりたいことリスト」「やったことないがことリスト」「やるべきことリスト」など、リストとしての種類そのものを変えたリストをつくることもできそうだ。これら3種類は似ているがそれぞれ異なるものを指しているだろう。
「やりたいことリスト」:自分の気持ちが向いていて、人生のうちのどこかのタイミングで実現したい項目
「やったことがないことリスト」:自分の気が向くかどうかに関係なく、そもそもやったことがないことで思いついた項目
「やるべきことリスト」:何らかの目標が決まっていて、その達成に必要な項目
このように少し深く考えると、本当に「やりたいことリスト」の中に書くべきは、「中長期スケールでやりたいこと」を書くべきなのでは、という気がしてきた。これが、人生において大事なこと、「死ぬまでに」という枕詞を付けるに値するリストなのではないだろうか。前述のような「やりたいことだけど明日にでもできそうなこと」は、本当に熟考して出てきたものではない可能性が高い。むしろ「やったことがないことリスト」に入れてしまって、適宜思いついたときにトライしていけば良いのではないだろうか。
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