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波風立てずに生きていきがちなのです。

波風立てないで生きていきたい、と思ったりする。

それは、私が個人的特性として調和を志向する人間だからだ。

これについて改めて書いてみようと思ったのは、そういう自己分析的な問いがないところで、「あ、今自分はこういう行動をとった、ということはやはり調和を大事にしているのだろう」とふと思い当たったからだ。

もし仮に「もっと波風立てても良いのだ」と言われたとしても、波風立てないで生きていくと思う。逆に「波風立てて生きていかねばならない」と言われたら、とても生きづらいと思う。

ただ、ここでの「波風立てる」とはどういう意味なのかをよく考えなければならない。単に何か目立つことをすることか?それによって周りの人々からとやかく言われることか?目立ったとしても、もしそれが周りの人たちから評価されることだったらやるのか?

絶対に誰にも悪く言われない、ということだったらやるかもしれない、と思った。私が恐れているのは、おそらく「対立」や「衝突」である。異なる意見がぶつかり合うこと自体に、あまり心地の良さを感じない。

どうしてもそれを避けようとしてしまうが故に、自分が何かアクションを起こすときには、誰にも気づかれないようにしたり、誰にも批判されないことをしたりすることになる。

この性質は、良い側面と悪い側面があることはわかっていたとしても、どのように操縦していけばいいのか、まだうまく自分自身を乗りこなせていない気がする。練習が必要だ。

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ともやの思考整理note
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