ニヒリズムの克服。

最近の思考整理によって、「人間には生きる意味がない」ということをやっと腹の底から理解できたような気がする。これがいわゆる「腹落ちした」という状態なのかもしれない。

「やっと」と書いたのは、ここ数年それに薄々感づいてはいたものの、自分なりに工夫すれば何らかの生きる意味に到達できるのではないか、という悪あがきをダラダラと続けていたからだ。

ここにきてやっと、それに対する自分なりに納得性の高い説明をつけることができて、そのダラダラした思考ループから抜け出すことができそうな予兆を感じている。

さて、こうして「生きる意味」を探す思考の無限ループから解脱できそうになった段階で、私の中で改めて輝きを放ちだしたのが「ニーチェ思想」だ。ニーチェはドイツの前身であるプロイセンに生まれた思想家で、その名前だけであれば聞いたことがある人も多そうだ。「神は死んだ」という言葉でもお馴染みである。

私がニーチェの思想に初めて触れたのは5年以上前のことであり、そのときは正直に言えば「あまりよくわからない」「なんとなくは理解できるけどしっくりはこない」という印象を受けた。しかし、最近の思考整理をする過程で、「生きる意味を感じられない状態」≒「ニヒリズム」という言葉からの関連でニーチェを思い出し、以前書籍を読んだ際の読書メモを読み返したり、関連書の解説として以下の動画を見直したりする中で「これだ!」と感じる瞬間があったのだ。

ニーチェの著書「ツァラトゥストラ」で語られる中心的主張は、まさに「ニヒリズムの克服」である。私が今陥っている状況が完全にニヒリズム的かというと、そのあたりは正直まだよくわからないが、少なくとも今の私自身にはかなり響く内容であったことは確かだ。この「意味のない生」を生きていくために、ニヒリズムを乗り越えるために、どのように考えどのように生きるべきか?

非常に端的に表現すれば、ニーチェは「永劫回帰仮説に基づいて、その人生をそのまま肯定せよ」と言っている。

「永劫回帰」とは、自分のこの人生が無限に繰り返されるという仮説のことだ。これはあくまで「仮説」であるが、それが真実かどうかはここではさほど問題にはならない。なぜなら、そのように考えることによって究極的には、ニヒリズム的思想のままネガティブに考えて人生を永遠に諦めるのか、それともポジティブに考えて幸福を得られるように努力を重ねるのか?という問いが立ち上がり、幸福を得るには前を向くしかなくなるからである。

どんなに自分の人生を肯定的に捉えるのが難しかったとしても、たった1度でも本当に魂が震えるほどの喜びを手に入れることができたら、その人生には生きる価値があったと言える。どんなに辛い過去があったとしても、死にたくなるほど絶望しても、「それこそ私の人生である」と人生を肯定的に捉えることで生きていける。

これがニーチェの言っていることだが、それを本当に実践できるだろうか?これが問題だ。当たり前だが、その道は険しいだろう。そんなことは考えなくてもわかる。

しかし、ニヒリズムを乗り越え、この人生を幸福を得ながら全うすることを目指すならば、それに適切に向き合っていかなければならない。

「生きる意味はない」と本当に腹落ちした今こそ、もう一度ニーチェに立ち返るべきなのだ。

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ともやの思考整理note
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