他者に対する責任を取る。
前回の記事で「責任」について書いた。
これまでの数年間、この「責任」というものに適切に取り組んでこれなかったのではないか、という反省がある。しかも、それが自分にとっての課題の1つであると潜在的に気づいていながら、である。
なぜ気づいていたのに取り組めなかったのか、あるいは取り組まなかったのか、と考えると、一応理由のようなものはあった。それは、「責任を取ること」ができない感覚が自分の個人的特性から否応なしに生まれてしまうからではないか、という考えがあったからだ。
その特性とは、「干渉しない」という特性だ。建前としては「自分と他者を守るために」「関わって他者を傷つけるくらいなら自分は関わらない方がいい」という思考から、他者になるべく干渉しないという行動を取ることになる。しかし、この特性は同時に、他者に対する責任からの解放を意味する。他者に必要以上に干渉しなければ他者を傷つけることはないが、同時に「それ以上の関係」を結ぶことはできなくなる。
一般的に、ある人間の特性はポジティブな側面とネガティブな側面の両方を同時に生み出すものであって、そのどちらかのみを発現させることはほぼ不可能である。ネガティブな側面の発現を抑え込もうとすると、逆にポジティブな側面をも失うことになる。
しかし、もう少し丁寧に考えてみると、このような特性とそこから生み出される結果についてもし解像度高く自己認識することができれば、ネガティブな側面が出そうになったときの対応策を考えておいたり、TPOに合わせて特性の発現を強化したり抑えたりすることもできる可能性がある。
ここでの「責任を取る」とはどういう意味かを考えてみると、もしかしたら一般的な意味とは少し違いがあるかもしれない。私が言っているのは、単に「ある物事に対して自分の意思で最後まで取り組むこと」のような意味合いではない。むしろ、それは比較的得意だ。そうではなくて、「他者に対する」責任だ。「他者の行動、取組、目的に対するコミットメント」のことだ。本気で他者の幸福を考え、そこに対して自分自身が何らかの力を発揮して責任を果たすことだ。
これが今までの私にはおそらくできていなかった。反省しなければならない。今後も引き続き、これが当面の私の人生の課題になるだろう。