自己受容こそが出発点。
リニューアルします、と言っておきながら、これまでと似たような記事を書くことを許していただきたい。
というのも、私にとってこのnoteは一種のセラピーでもあるからだ。これまでも、何か思考が整理できないときに、あーでもないこーでもないと色々考えたことをとにかく書き連ねることによって、自分自身を保ってきたのだ。
そしてまさに今もそういう状態にいる。だから書く。
私は今、個人的には大きな岐路に立たされていると思っている。これから何をしてどのように生きていくのか(べきなのか)、その1つの決心を迫られている。
とはいえ、いつ何時も常にいろいろと不安はあれど、究極的に言えば自分の中にしか正解は無いのだから、自分で選んだ自分の道を、これからの自分が正解にしていくしかないのだ。
仮にその選択によって何もかもが上手くいかなくなって、そのままどこかで野垂れ死んだとしても、それはそれで仕方のないことだ。いずれにしろ人間いつかは死ぬのだから、その死期がたまたま結果的に早まるだけだ。
それを受け入れるための、ある程度の心の準備はあるつもりでいる。なぜなら、「自分で決めた」ことだからだ。自分が決めたことには自分で責任を持つ、ということだ(今は特に死期が迫っていない状態だから言えているだけかもしれないけど)。
自分自身のこれまでの取組や実績、さまざまな経験はあるにせよ、ここから先の未来の自分が必ずしもそれに規定される必要はない。
長期的目線を持った意思決定ができるに越したことはないが、少なくとも今の自分にとって重要なことでなければ、今それに取り組むことはできない。とにかく今は、自分がふと思いついて、ちょっとでもやる気が出そうなことにトライしていくしかない。
それに取り組む人生を選ぶということは、そうやりながら死んでいくことを受け入れることでもある。
この自己受容こそが出発点になるのだと信じたい。