6/8水:修羅の道には笑顔を。
先ほど、国際学会の発表と質疑が終わった。
ヨーロッパでの国際学会なので、オンライン参加になると、こちらは夕方以降の参加になる。ヨーロッパでは午後の発表が、日本では深夜になるので、どうしても参加するのが面倒になってしまうのだが、今回は午前中に割り当てられたのでよかった。
さて、これで一仕事終わった。ここから今月の予定をもう一度組み直して、過ごし方を考えなければならない。
例の准教授に今後の研究やスケジュール感について相談してみたら、やっぱり昨日書いた、以前言われたことと同じことを言われた。こういう忙しいときこそ強欲になって、仕事・研究・プライベート関係なく、全てやり切った方がいい、とも言われた。
元々私は、そういう大変さが無いときでも、何かのために何かを無理やり諦めるということをしてこなかった。本当に同時間帯に何かをこなすことはできなくても、長い目で見れば様々なことを同時進行でやってきたはずなのだ。それは、この勉強や研究活動と共に、バイトや仕事をし、社会活動であるところの子育て団体の活動をして、その全てを適切な範囲でやってきて、全てが自分自身の中にそれなりの成果・記憶・糧として蓄積されていることからも明らかである。
こうした過去に対して自信を持つと共に、今までの経験に加えてもう少し強い負荷がかかると思えばよいのだ。
私の持論では、我々は生きて歳を取ると共に、常に忙しさが増す生き物である。つまり、人間は今生きているこの瞬間が人生の中で最も忙しい瞬間なのである。自分史上最高の忙しさを更新し続けるものなのである。
であれば、忙しいことを言い訳にして何かをやらないことは、それを一生やらないことを選択することと同値になる。
しかし、忙しさというのはあくまで主観的なものであるから、時間をうまく使うことができたり、考え方を変えたりすれば、忙しくないと感じたり、忙しさをコントロールしたり、その忙しさを楽しみながら生きることは可能なのである。
博士課程の最後の年を過ごすということは、修羅の道を笑顔で歩むことなのである。