![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/159993100/rectangle_large_type_2_930c00ee66748844e185ac690cbf5f6b.jpeg?width=1200)
どうしても早起きできなくなるのです。
寒い時期になってきた。
本当は早起きして何かしら活動したいところだけど、なかなか起き上がれないのが常だ。
私はこの3年ほど、冬の時期になると春から夏秋にかけて継続してきた朝のルーティンを失うことを繰り返している。それをなんとかしようと色々な施策を取ったこともあるが、見事に全て失敗してきた。
3年間やって3度再現性があるということは、おそらく根本原因にアプローチできていないということだろう。
なぜ私は、小中学生の頃は夏でも冬でも関係なく、律儀に早起き(というか、起床時間から逆算して8時間前には必ず布団に入る生活)ができたのだろうか。
なぜ私は、修士論文の発表会が終わった直後の博士課程の学生としての生活が始まった瞬間から、律儀に早起き(23時に寝て5時に起きる生活)ができたのだろうか。
それを経験したことがある上で今の自分自身を見てしまうと、その不甲斐なさに打ちひしがれる。
しかし、冬の時期に早起き習慣が失われる根本原因は、おそらくもうわかっている。
れは、「なぜ早起きするのか」という理由を見失っているからだ。
小中学生の頃は、「毎日8時間睡眠をとること」そのものが目的だったし、それを妨げるような誘惑も少なかった(あの頃私はまだスマホを持っていなかったし、テレビの深夜番組などにもあまり興味はなかった)。
博士課程の学生の頃は、それまでの修士論文執筆期間の夜型生活(終電ギリギリまで研究室で過ごし、やっと帰って翌朝またすぐに出発するという崩壊した生活)に嫌気がさし、絶対に朝型生活に戻してやるんだという執念があった。
しかし今はどうだ?
正直に言えば、決して早起きをしなければいけない理由などない。別に親に叱られるわけでもないし、遅刻するほど遅起きをするわけでもないし、死ぬわけでもない。
でもなんとなく、早起きしなければならない、と心のどこかで思ってしまっている。それが不思議だ。
なぜ早起きするのか?
早起きをしている人たちにその理由を聞けば、いろいろな理由が返ってくるだろうが、私の場合は何か。
今は「暇人になりたい」という目標を決めたわけだが、それは今すぐにということではなく、人生のある瞬間(10~15年後くらいだろうか)に達成したい目標なのであって、差し当たって達成したい喫緊の課題ではない。
暇人になるために必要なことを具体化して今現在の目標に落とし込むとしても、その目標にどれだけコミットできるかは、締切効果などを適切に使わなければより良い形では機能しないだろう。
早起きすることについて考えるだけでも、自分自身の人間的な根深い問題にぶち当たる気がしてきた。
いいなと思ったら応援しよう!
![ともやの思考整理note](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161167786/profile_62e804fac1d5b035dcfd3b8b4de046ad.png?width=600&crop=1:1,smart)