意味があると信じて意味のない人生を生きる。
「人は生まれながらにして価値がある」「人は生まれてきた意味のある存在である」とよく言われることがある。
しかし、本当にそうか?と思ってしまうのが私の悪いクセだ。実際、今のところの私はまだあまり納得できていない。なぜそう問うてしまうかといえば、それは私が「(少なくとも)私には生まれながらにして価値があることはない」「(少なくとも)私には生まれてきた意味などない」と直感的に感じているからだろう。
ただ、そのように大っぴらに発言すれば、どこかで誰かを傷つけてしまう可能性がありそうだから、できればあまり言いたくはない。特に、自分の両親に直接そんなことを言ったら彼らが悲しむだろうからあえて言うのは避けよう、と思うほんの少しの倫理観は一応備えているつもりだ。それでもこうして文章に書いてしまっているのは、私が「問わざるを得ない」という特性を持っているからだ。中途半端に探究心がある人間にとっては、こうした問いは切実な問いなのである。
話をシンプルにするために問いを1つに絞ると、今ここで考えたいのは、「(あらゆる)人には生まれてきた意味があるのだろうか?」という問いだ。
意味が全くないとは思わない。特に、「私」という人間を例にもう少し解像度を上げて考えてみると、「他の誰かにとって」私が生まれた意味、はあるかもしれない。それは、「両親にとっての息子としての私」だったり、「安全評価業務の委託元の組織にとっての安全工学研究者としての私」だったり、「地域の子どもたちにとっての地域青年としての私」だったり、他の誰かの幸福のために私という人間が提供できる何らかの価値があり、それをもって「生まれた意味(そこにいる意味)がある」と理解すれば、ある程度は納得できる。
では、「私にとって」私が生まれた意味、はどうだろうか。これは最終的には主観的な判断にならざるを得ない。なぜなら、私が生まれた意味を私自身の判断のもとに考えているからだ。このとき、主観的に「私にとって私が生まれた意味はある」と考えれば、確かに意味はあることになる。しかしそれはあくまで「私の信念」であって、客観的事実ではない。逆に「私にとって私が生まれた意味はない」と考えれば、その通り意味はないことになる。
つまり私はこの問いを通して、「本人がどのような信念を持つかによって結論が変わりうる」ことを指摘したかったのである。特に私は「(私にとって)私が生まれた意味は特にない」と感じている人間なので、冒頭の言説に対して疑問が浮かんだわけである。
じゃあ「意味がない」ということで納得すれば?という話になるのだが、そうもいかないのが困ったところだ。もし「意味がない」としたら、そういう人間は一体何を根拠にして生きていけばいいのだろうか?意味がないことが既にわかっているのであれば今すぐ死ねばいいじゃない、という話になるが、一応私も人間として「幸福に生きていきたい」という欲求は持ち合わせている。ある意味、私はこの世界に「生まれてしまった」のだ。困ったものだ。
ではこの問題に対してどう向き合えば良いのだろうか?
ここでの問いは、次のように言語化されるだろう。
「どのような信念を持てば、より幸福に生きていける(生きていきやすい)だろうか?」
私なりの暫定解は、「『私には生まれてきた意味があるかもしれない』という信念を持って生きている方が合理的である」だ。
それはなぜか。もし「意味がない」という信念を持っていた場合、当然それは「100%意味はない」ことを意味する。つまり、過去も今もこれからもずっと、生まれてきた意味はない、と信じることになる。
一方で、もし「意味があるかもしれない」という信念を持っていた場合、それは必ずしも「100%意味がある」ことにはならないが、「今は生きていく意味がわからないが、今後生きていく過程の中で意味が生じる、意味を発見する可能性がある」という解釈はできる。
だから、「意味があるかもしれない」と信じている方が幸福に生きられる可能性が高まり、確率論的な観点から合理的なのである。
したがって、私なりの現状の理解を最大限の努力で言語化するならば、「『人は生まれながらにして価値があるかもしれない』『人は生まれてきた意味のある存在であるかもしれない』と考えて(信じて)生きていく方が、幸せに生きていける可能性が高まる」ということまでは言えると思う。しかしそれは、「100%確実に価値がある」「100%確実に意味がある」ことを必ずしも意味しない。本人の持っている信念によっては、意味がないと言える可能性もある。
人間の生に本当の意味で「価値」や「意味」があるかどうかは、私にはわからない。実際のところないのかもしれないし、意味があるとしても一生かかってそこに辿り着ける人がどれだけいるのかもわからない。
しかしそうやって、雲を掴むような気持ちで、意味があると信じて意味のない人生を生きるのが人間なのだ。