思わぬ褒め言葉には発見があるのです。
ある友人と2人で話していて、不意に言われた。
「あなたと話しているとなんだかほっこりする」
私はこれの真意があまりまだよく掴めていないのだが、とりあえず貶されていないことはわかる。
話の流れとしては、お互いの生育環境やこれまでの半生などの話になったときに、私が自分の半生を少し語った後にそれを受けて言われた言葉だ。相手の意図としては、私の「育ちが良い」と感じたことをピックアップして、「話を聞いていても、壮絶な話とか暗い過去の話がなさそうだから、安心して聞いていられる」という意味合いで言ってくれたようだ。
なぜこの言葉が印象に残っているかというと、私にとって結構新鮮な表現だったからだ。それまであまり言われたことのない表現で自分について言及されると、それは一体どういうニュアンスなのだろうか、という思考が働いて、今までの自分の中に存在した語彙と比較検討しながらその意味を徐々に確定しようとするのである。
これまで、私はなぜかよくわからないが人に安心感を与えられる存在であるようだ、ということは周りの人から言っていただいて少しは自覚していたのだが、それは自分の言動や態度だけではなく、これまでの育った環境や経験に裏打ちされた総体として感じさせる安心感だったのかもしれない、と思った。
これ以外に、何か自分について珍しい表現で言及された例はあったか、と考えてみると、もう1つ思い当たった。
それは、褒め言葉として嬉しかった言葉の1つで、「周りの人のために想像以上のパフォーマンスを発揮してくれるよね」というものだ。
本当はその発言の枕詞として「頭良さそうで冷たそうなのに」という主旨の言葉があったのだが、まぁこの際それはどうでもいい。前段の言葉を踏まえての後段の言葉と考えると、そう思われていたのか、と自分としては発見度合いが大きい言葉だった。
壮絶な過去が無いことも、自分の中にやりたいことのエネルギーが存在しないことも、いずれもコンプレックスだと思って生きてきたところから、それぞれ思わぬ形で肯定的な表現をされたことがより嬉しさを感じさせたのかもしれない。