悟ってしまっている感覚への葛藤。
最近、以下の動画を見た。
とても興味深い内容だった。インタビュアーの方の問題意識が、今の私が抱えている問題意識に大変良く似ていたから、「ミドルエイジクライシス」を経験した箕輪氏からの回答が、大変納得性の高いものに感じられた。
簡単にその問題意識を説明すると、「自分自身がこれまで既に十分恵まれた生活環境の中で生きてきてしまっており、わかりやすい目標達成に向けてエネルギーを出すのが難しく、一体何を目指して生きていけばいいのかわからない感覚に陥ってしまう」というものだ。
それに対して箕輪氏は深い共感を示した上で、人間が幸福を感じる5条件を元にその対応策を説明してくれている(詳細は動画をご覧ください)。
動画の中では、3種類の対応方法が挙げられていた。
①背負ってしまう:とにかく何でもいいから目標を宣言して先に背負ってしまい、やるしかない状態をつくり出すやり方。
②推し活:自分以外の他者の目標や、企業をはじめとする共同体のビジョンなどに共感することで、生きがいを他者に委託するやり方。
③出家:毎日やることをルーティンとして全て決めてしまうやり方。
この動画を見て、私だったらどうするか、をいろいろと考えてみた。
ここまで言語化される前までの私が取ろうとしていた選択肢は、②に最も近いと思う。それは、「自分こそがやりたいこと」が特に無い自分は、究極的に他者貢献を考え実行するしかないのではないか、という発想からくるもので、これはほとんど②そのものである。
しかし、取ることができる選択肢として他にも①や③があるということが言語化された今、これらをうまく適切に組み合わせていくことで、より豊かな対応策が取れる可能性も出てきた。
①の路線で言えば、どれだけの実現性があるかどうかは一旦置いておいて、例えば家族を持つことだったり、上手くいく見込みがない中で先に起業してしまったりする方法がある。ただし私の場合、これを「個人的なこと」にしてしまっては結局また元通りになってしまう気がする。それでは結局何も背負ったことにはならないだろう。だから、もし①の路線を行くのであれば、一定の他者を巻き込んでいかなければならない。
一方で、③の路線は比較的考えやすい。毎日のルーティンを決めさえすればいいからだ。本当に出家するのだとすれば朝から晩まで全ての行動が決まってしまうだろうが、さすがにそこまではせずに、例えば朝晩だけのルーティンを決めてしまうことで、残りの時間を何に使うのかを丁寧に考えることができるようになりそうだ。
もう少しいろいろ試行錯誤して、この①②③のうまい取り合わせを考えることで、現状のある意味で「悟ってしまっている感覚」への葛藤を乗り越えていきたいと思う。