サポーターとして責任を取る。

最近ありがたいことに様々な繋がりのおかげ様で、自分自身のサポーター気質を活かしたいろいろな取り組みをさせていただく機会を頂いている。

ざっと書いてみると、こんな感じだ。

・日本の教育の変革を志す元校長先生の新たな集団づくりへの取組に対するサポート
・起業を目指す女性たちの支援事業に精力的に取り組む女性経営者のサポート
・プロの映像クリエイターによるMV撮影サポート

こうして並べてみると、ご相談いただいている方の属性はかなり異なるし、その対応方法に関しても、事業構想についてご相談を受けてフィードバックしたり、具合的な困りごとを聞いてそのトラブルを解決したり、イベント時に現場で手足となって動いたり、と様々である。自分の今の本業だけに取り組んでいたら、人生において決して体験できなかったことに触れることができている気がして、ありがたいことである。

これらの取組をやってみて感じることは、やはり私はこういう「誰か何かやりたいことがある人がいて、その人がその目的を達成するにはどうすれば良いかを考えたり、その人が取り組みやすいように何かをする」という状況が生まれたときに身体が動きやすい、ということだ。

それを実現するためであれば、ある程度のことはこなせるような気もする(もちろん苦手な領域もあるが)。とはいえ、単なる「何でも屋」ではいけないとも思っている。それだけではいずれは埋もれてしまうだろうし、特にこれからのAI台頭時代ではそのあたりも真剣に考えなくてはならないだろう。

どういうことが得意そうか、についてもう少し解像度を上げるとしたら、「専門家やその道のプロがそれぞれの仕事に集中できるように、その周辺の物事についてできることを代わりにやる」とか、「既に何かイベントとしての向かう方向性が決まっていて、それを当日うまく運営するために必要なことをやる、現場を仕切る」という状況があるとき、よりその力が発動しやすいように感じている。

あるサポートに取り組んでいるときに、ふと「他者のために、もっと疲れるぐらい頭を使えるか」が大事なのではないか、と思った瞬間があった。どうせ自分のことについて頭を使うのは既にそれなりにやっている、というか、考えるのが面倒なことは捨て去って考えないことで省エネしているので、その分を他者のために使えるぐらいの余裕が無ければいけないのだ。

今のところ、そのサポートの多くは趣味の領域を出ず、しっかりと報酬を頂いて取り組んでいるものはまだ少ない(もちろん、今取り組んでいるものについては無償でも真剣に取り組ませていただいている)。

報酬を頂けるのはありがたいことなのだが、特にお金を受け取らずにいろいろと手を伸ばしてやってみる方が気持ちが楽でいいかもしれない、と思ったりもする。本業とは別の形でやるならば、あえて報酬は受け取らずにいた方が精神衛生上も良いのではないか。

しかし、もし仮にそれを本業にするほどコミットするなら、そのサポートによってきちんと報酬を頂くと決めることで「積極的に責任を持つ」というマインドセットが必要そうだ。

ひとたび仕事としてお金を頂くとなると、そこに責任や成果を求められて急に息苦しくなりそうだが、それでもそこに対して責任を持つということだ。クライアントが望む目標や成果が出せるかどうかわからない段階で仕事を引き受けるというリスクを取り、それを実際に実行し、クライアントの期待に応える、または期待を超えることによって仕事が成立するのである。

自身の気質や特性や能力を使って積極的に他者への責任を取り、それを報酬として得る。フリーランスの方々は特にそのような生き方をしているのかなと想像すると、その逞しさにリスペクトの念が深まる。

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ともやの思考整理note
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