もうこれ以上傷つきたくない。

これが自分の究極的な願いだったのだということに、最近ようやく気付かされた。

そのきっかけになったのが、「回避性パーソナリティ障害」について解説していた以下の動画だ。

内容の主旨としては、「何をするにもやる気が起きない」「人付き合いが面倒くさい」「自分には価値がない」という信念と行動原理を持つ人が世の中には一定数いて、それが日常生活や社会生活に支障をきたす状態に至ると「回避性パーソナリティ障害」として顕在化するし、そこまで至らないにしても、その謎の感覚にずっと苦しめられることがある、というものだった。

私はこの解説を聞いていて、全ての項目ではないけれども、「私のことじゃん」「え、私のことじゃん」というように、いくつか当てはまるものがあったので驚いた。

ここでの「回避性」という言葉の意味は「人生における一番の優先事項が『もうこれ以上傷つきたくない』になっている状態」で、それが行動として表面化したものが「何か行動して傷つくのを避けるためにやらない」「人と関わって傷つくのを恐れて関わらない」「自分に価値があると思い上がって傷つくことを嫌がり自ら価値を棄損する」などの行為であるとのことだった。

これらの感覚はいくつも身に覚えがある。現在ではすでにある程度克服したと言えるものもあるが、昔の私はこうした回避性に苛まれていたのだということを自覚した。そして、今もなお体内に残っている回避性によって私は苦しめられている。上記以外にも、「恥をかきたくない」「やっても意味がない(諦め)」のような感覚を生み出す要因にもなる可能性があるらしく、これはまさしく私そのものだと思った。

こういう状況に苦しんでいる人々が私の他にも確かにいることがわかり、その感覚に共感はしつつも、一方で私は日常生活や社会生活に著しい影響を及ぼすほどの状態には陥らずに済んできたという自覚もある。それはおそらく、たまたま自分の一定の理性や情報処理能力がうまく機能して、傷つくことを避けるために事前に多様な可能性を考え、対応できたりすることができたからだろう。しかしいずれにしろ、「傷つきたくないがために行動にブレーキがかかる、行動をやめる」という心の動きがあることは確かなのだ。

どうしてそのような回避性が生まれたのかを解き明かすためには自分自身の幼少期を改めて振り返る必要がある。しかし、ひとまず当面重要なのはこの回避性との向き合い方である。

動画の中では、まず最初のステップとして「行動すると傷つくから行動しないようにしている自分に気づく」ことが必要で、次に「その行動の先に得られるものが、本当は欲しいと思っている自分に気づく」ことが重要だそうだ。この両者を天秤にかける葛藤があるから、苦しさが生まれるということだ。

このことをうっすらと自覚したあたりから、自分の行動ハードルを何とか下げる取組を少しずつ積み重ねてきた。その次の段階としてこれからの私に必要なのは、やはり「傷つく可能性や度合いが少し大きそうだけどやりたいこと」をやってみるという経験なのかもしれない、と思った。

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ともやの思考整理note
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