
完全数である28歳は人生のターニングポイントなのです。
昨日の記事でこれまで書いてきた記事が合計1000本になったのを見て、もうしばらく書き続けてみようかなぁと思う気持ちと同時に、あぁちょうど1000本ピッタリで止めておきたい、というキリの良い数字が好きな個人的嗜好とのせめぎ合いが生まれているところだ。
このように、「何らかの意味のある数字」が好きなところについて、数学好きの人などとはよく話が合ったり、この人は自分と似た感覚を持っているかもしれない、という傾向があるように感じている。
数ヶ月前に、とある人生の先輩の男性とお話をしていたときの話だ。
今現在28歳の私が彼に、「28歳のときって、どんなことを考えてましたか?」と質問してみた。すると、彼はその半生についていろいろと語ってくれた。
「大学の学部生時代に就職活動をしていたとき、28歳までには転職することを前提に当面働く会社を決めた。なぜ28歳だったのかというと、それは完全数だったからだ。完全数は6の次が28で、その次は496だ。自分の年齢が完全数であると認識できるのは生涯で6歳と28歳しかなかったからだ。」
たぶん、これを聞いても「は?」となる人の方が多数派だろうというのは承知の上でだが、これを聞いて私は「なるほど!」と感動した。
友愛数とか完全数とか、整数論の世界では特別な意味を持つ整数というのがあって、そういう数字が身近に表れたときにちょっと心が動いたりすることがあるのだ。
私はこの話を聞いていて、その数字の年齢になったときに人生のターニングポイントを「つくる」と予め設定する発想が素晴らしいと思った。自分の目の前に出現した数字に対して受動的になるのではなく、あくまで能動的、主体的にその数字の意味をつくり出そうとしているような気がしたからだ。
私はその境地に辿り着けてはいないのだが、こうして、何か外的な意味のあるものの力で大きな決断をするというやり方もアリなのかもしれない、と思った。
彼は続けて言った。
「そのポイントポイントでの意思決定はそれなりに「えいや」で決めていて、それも結構ポジティブな感覚だ。「まぁなんとかなるでしょ」という楽観的な感覚があったかもしれない。家を買ってローンを組んでるのに転職したりしたのも、確かに不安はあったけど、なんとかなるだろ、で決めてきた。」
私もそのようなスタンスを身に着けていきたい。
不安が生じるのは、その原因があるからではない。決断しない状態を正当化するために、不安という感情が生まれているに過ぎないのだ。
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