いつでも死ねる
ふと、人間っていつでも死ねるなと思った。
これを書いている今も死のうと思えば死ねるし、人生しんどいなと思ったら死ねる。
でも、生きることは自分で決められないことがある。
病気になったら余命を宣告されることがあるし、事故や事件に巻き込まれたら生きたくても生きれないこともある。
なんかそんなことを思った。
つまり、何かを得ることよりも、何かを終わらせる方が簡単なのだ。
また、他人やものに終わらせられてしまうこともあるということ。
残酷な世の中だなと思う。
しかも、逃げた奴やNOと言い続けた奴が勝てないようにできているんだ。
さらに、めちゃくちゃ頑張っても地獄に落とされることもある。
人生というのはタイムリミットが決められていないデスゲームなんだ。
こんな話をしたら、多くの人が絶望を感じる。
僕が思う、それを打開する方法はただ1つ。
「開き直ること」
これしかない。
だって、いくら考えても終わりは絶対に来るから。
だから考えるだけ無駄なんだ。
でも、考えてしまう人へ。
これを読んでいる「今」は生きています。
だから、「今」を精一杯生きるしか方法はない。
夢に向かって努力する。
友達と遊ぶ。
おいしいものを食べる。
趣味に没頭する。
何でもいいから全力でやるしかない。
後悔を1つでもなくす人生にする。
それが自分の思いつく最高の人生なのかなと思った。
でも、この世の中は資本主義の仕組みがあるから、どうしても勝者と敗者が存在して、好きなことが出来る人と出来ない人が出来てしまうのだ。
自分で切り開くしかない。日本はそんな所。
そんなあんまり優しくない社会だから、中にはもう死んでしまいたいとか、生きてるのがしんどい人も中にはいると思う。
そんな人に言えるとすれば、誰かのために生きてみてほしいということ。
これは自分自身も経験したから言えること。
「人」という漢字は支える人と支えられる人によってできている。
つまり、周りの人に頼って支えられる生き方だけではなくて、誰かに頼られて支える生き方もあるということ。
生きる価値のない人間なんて存在しない。
「今」精一杯誰かのためだけに生きてみるのも最高の人生だ。
だってそれに救われる人、喜んでくれる人は間違いなくいるから。
自転車が倒れていたら立てる。
重たいものを持っている人がいたら助ける。
学校でいじめにあってしまっているのなら、転校してしまえばいい。
それは逃げではなく、よりよい道を選択したに過ぎない。
そして、その決断はきっと親のためにもなっている。
頼まれたらやってみる。
周りを観察して困っている人に気づく。
それ以外にもたくさんある。
誰かのために何かをする。
それを実行したときに感謝される。
次は返そうとしてくれる。
その時、支える存在から支えられる存在に代わる。
「やられた方の心には残る」
この言葉は、良くない出来事の時に使われることが多いが、良いことをしたときにもこの言葉は使える。
何気なく振舞った優しさが誰かを幸せにし、その心に残り続ける。
あなたは誰かの記憶に残るのだ。
そして、あなたにタイムリミットが来たとき、その人は悲しむ。
あなたが100人のために何かをすれば、100人は必ずあなたのことを思い出す。
いつか死ぬんだから、葬式に誰も来てくれないよりも行列ができるくらいの人生のほうが良くない?
そして、その光景は残された家族の誇りとなり、残り続ける。
いつでも死ねる
その本当の意味は、いつでも死ねるんだからタイムリミットが来るまで、必死に生きてみろよ!ってこと。
この世に生まれてくる確率は50兆~80兆分の1なんだってさ。
しかも日本人として生まれてくる確率はもっと低い。
宝くじ当てることなんか比にならないくらいの幸運なんだ。
だから、簡単に捨ててはいけないなと思う。
せっかく「今」生きてるんだから、大切にしないとな~。
明日じゃなくて「今」、未来じゃなくて「今」。
タイムリミットはあと少しかもよ。
『嫌なことがあった後には、必ず良いことがある」
皆さんの今日が幸せでありますように