
セーフティネットについて
日本国内において、生活を守り、命を守る制度、セーフティネットはいくつもあるが、その最たるものが生活保護制度だろうと考える。
この制度は、憲法にも明記されている生存権や人間の尊厳に基づいて作られたもので、制度そのものは価値あるものと考えるが、その利用となると躊躇う人も多いし、利用者への差別、偏見があるのが事実なのだろう。
失われた30年、その前のバブル経済、高度成長期においても、制度そのものは利用されてきただろうし、意義あるものだったかと考える。
しかし、現在のような混迷を極める社会状況は想定されていなかっただろうし、格差社会もまた然りである。
このような先の見えづらい状況においても、最後の砦となるセーフティネットの利用が躊躇われたり、スティグマ化するのは何故なのだろう。
もちろん、自分で生活していきたいという欲求は誰しもあるだろうし、それが出来るに越したことはない。
問題は、どのような理由であれ、自活出来ない状況に陥ってしまった、もしくは嫌でも陥らざるを得ない状況においても、先程の理由により最後のセーフティネットを選択しない、もしくは選択すると将来的な展望が持てなくなるという制度設計、そのような制度にお世話になるという感覚への反発などがあるのだろうという点である。
このような状況において、少子高齢化や自殺問題など、私たちの生活、命に関わる問題は日常化してきている。
生活や命を脅かされることが日常となる状況が問題であるのは間違いないが、そうだからこそ助かる生活や命は多いともいえる。そのために機能する制度としてのセーフティネットが求められるていると私は考える。
では、そのような制度、セーフティネットの在り方を私なりに提案したみたいと思う。
先ずは、名称の変更。
生活保護ではなく、生活支援費、生活援助費、自立支援費などとすること。
次に制度として強制化。
何らかの理由により働けなくなった、仕事から離れたりした場合には、自動的にこのセーフティネットによる援助を受け、次の生活を考えられるようにすること。
他の制度の廃止。
この制度により、多くの方の生活や命が守られる対象となるために、今まで福祉、労働、医療・保険などにより支給されてきた障害者年金、傷病手当金、失業手当など、制度的にも申請主義的で、コストがかかるものは全て廃止として、新しいセーフティネットで一括支援することで生活と命を守ること。
最後にまとめとして。
セーフティネットはネットであって、つまり「網」である。網は目が粗ければこぼれ落ちるものが出てくる。
私が何らかの形なり制度として提案しているのものは、実は制度というよりも社会のかたちを変えようと試みるものであるといえるかもしれない。
網の目からこぼれ落ちるものがいないということは、それだけ多様性が担保されることでもある。
多様性の担保こそ、人類なり生物が生き残るための戦略のひとつであり、それは種の問題というマクロな問題から、個別の存在というミクロな問題までをも包括するものである。
そのようなものがしっかりと守られる社会を、安心安全社会=多様性社会、セーフソサイエティ(safe society)と呼びたい。
社会がセーフティネットという網を使うのではなく、社会そのものが、その成員の生活と命と直結しているものとして存在する在り方の提唱である。
いいなと思ったら応援しよう!
