無意識の意識
残り2週間という段階で一気に作業量が増えて、
経験と知識も飛躍的に伸びている今日この頃です。
2回は確実に死にかけたし、ありとあらゆる修羅場を私は潜り抜けてきましたが、
トラブルは人に知恵をもたらすのでそうそう悪いばかりではないように思います。
まあ、ないに越したことはないんですけどね。
カモン普通の幸せ。
オーストラリア人にもそれなりにお友達もでき、
年子育てながらのフルタイムワーカーで数は少なかったとは言え
ホームパーティや娘のお友達の家へSleep overに行ったり、欧米文化を満喫しました。
わたしがオーストラリア人に対してものすごく意外だと思ったことの1つが、とにかくオーストラリア人は社会、政治や特に自国の歴史や民族についての関心が高いということ。
これはわたしが特に高等教育の集団と接していたというわけでもなく、下水業者のおじちゃんも、高卒の専業主婦でも木こりでも、みんなそうでした。あとお話がとにかく好き。
前にも触れたけれどオーストラリア人はイージーゴーイングでおおらかなんてそんなことちっともなくて、
めちゃくちゃクレーマー気質だし、でもとっても正義感が強くて親切な面もあります。
古き良き時代の日本人から我慢強さや慎みを取った感じ。(主張しないことが美徳だとは思わないのでけなしているわけではない)
政治にもこれだけたくさんの監視の目があればそうそう妙なことはできないわけで、だからオーストラリアの政治はさじ加減が絶妙で、バランス良く機能しています。この辺は忘れないうちにメモにまとめます。
自身をも振り返って、日本人はどうかなと。
切り貼りのマスメディアのフィルターなしにもきちんと社会を、政治を見てきたのだろうか。なんとなく刷り込まれた「日本は良い国、普通にしてれば普通に暮らせる」という無意識で、あまり関心を持ってこなかったことがあまりにもあるのではないかと。
オーストラリアで暮らしましたが、この2年での一番の学びは、英語でもなく文化でもなく、
日本の税金の無駄遣いは政治でだけ起きているわけではないということでした。国民一人一人の関心と注意を喚起し、適切に税金はその用途に沿って現場に流用されているのかを監視する民間団体があってもいいのかなと漠然と思うようになりました。
今は具体的ではなくても、この無意識の問題意識の芽生はおそらく人生のどこかで起きるイベントの伏線になるのかなと思い、メモにしておきます。