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もうすぐ冬休み。
小1の娘が学校の図書室で本を借りてきた。

「ハリーポッター 謎のプリンス(上)」
「ハリーポッター 死の秘宝(下)」

なぜこのチョイス。
ハリーポッターの映画「賢者の石」「秘密の部屋」「アズガバンの囚人」までは娘も観ている。

「なんでこんなのを借りてきたの?」と言いそうなのを飲み込んで
「これを借りてきたんだね、難しくない?」と聞くと
「だってハリーポッター好きなんだもん」と純粋なお答えが返ってきた。

果たして、娘にとって図書室で本を借りるとはどういう目的なのだろう・・・。
そんな疑問が出てきた。
娘と一緒に本の文字を追ってみた。

娘👧「・・・読めない」
なので私が音読で読んで聞かせてみた。
私「意味わかる?」
娘👧「わからない」
私「そうだよね。文字も小さいし、まだ漢字習いたての一年生には読めない漢字いっぱいだよね。言葉も難しいね。」
娘👧「・・・(しょんぼりしている)」

あ、落ち込ませるために言ったんじゃないのに・・・。
私は何を伝えたいのか、脳みそをフル回転して考えた。


図書室で本を借りるという行為で満足してる?

私の価値観では図書室で本を借りてきたら「読む」という行為が続いてくると思っているが、娘の中ではそのような行動につながっていないのかも?と考えた。
そもそも話の内容が続いていない上、下を借りてきているということは「上、下」の概念すらないのか?
そうだよね、そういうこと知らないよね。

まず上と下の概念を娘に話してみた。
うちにある「サバイバルシリーズ」で1、2と続く物を出して説明したら少し理解できたようだった。

借りてきたら「読む」という行為が続くという私の価値観はひとまず置いておくことにした。
私の価値観で強制して、本を読むことが嫌いになられてはもともこもない。

冬休みだから「借りなきゃいけない」と思ってる?

娘に聞いてみた。
「冬休みだから、みんな図書室の本を借りなさいって言われるの?」と。
そしたら「そんなことないよ」と。
私は「だったら無理に借りなくてもいいとママは思うよ。」と返した。
ただ、この記事を書いていてこれは言わなくてもよかったのかも・・・と思えてきた。
だって、娘が読まないにしても「借りること」を楽しみにしていたとしたらそれを否定することになってしまわないか・・・。
もう一度、娘と話してみようと思った。

小1娘の読書習慣、そして私の気づき

娘はあまり自分で本を読まない。
読み聞かせは寝る時に毎回せがまれるが、自分では読まない。
文字を読むのは問題ないし、音読は私から見て上手だと思う。
ただ、まだ1年生。文字を追うだけで精一杯で、内容の理解まではなかなか追いつかないようだ。
娘が音読してくれたものは、なるべく一緒に話の内容を感じようと娘に質問したり私自身の感じたことを話している。
その時に言葉の意味だけでなく、そこに含まれた思いまではなかなか難しい。
読み聞かせはさらっと読む時もあるし、いろんな話をしながら読む時もある。
今は、この時間がとても大切なんじゃないか、と感じる。

本をたくさん読んで欲しい、という私の思いはあるけど
娘なりの楽しみ方があるということを忘れてはいけないな、と感じる。
読み聞かせはこちらの体力もいるが、こういうのを楽しめる時間にも限りがある。
大切にしていこうと改めて心に誓う。

上の息子は漫画であろうと小説であろうと、集中して読み耽るが娘はそういう様子は全くない。
その子それぞれの個性があるからこそ、私の価値観の押し付けはいかんな〜と痛感した出来事だった。

今日の夜も娘との読書を楽しもう。


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