泣き虫だったわたし
幼稚園に入園したころから、「私はどうやら他の子とは違う」と感じていた。
私は自分でもびっくりするぐらい泣き虫だったのだ。
家では年の離れた姉や、その友達、あるいは家族としか遊んでこなかった私は同級生の様子にすっかり圧倒され、入園直後は「これはえらいところにきてしまった」と思ったものだった。
男の子にも女の子にも意地悪な子は一定数いた。体を触ってくる男の子もいたし、幼稚園は私にとってかなり過酷な場所だった。いやでいやで仕方がない。毎日「おかあさんと一緒」を最後まで見てから、盛大に遅刻して幼稚園に通っていた。
ある日、歌をどこかの会場で発表する機会があった。
園長先生が指揮をして、みんなで歌をうたう。それだけのことだった。
歌を歌うのは好きだった。お母さんもほめてくれていた。
だから、その日もとてもいい気持で、自分なりにいい声で歌っていたつもりだった。
指揮をしている園長先生が、私をじっと見つめているような気がした。
そして「もっと大きな口で」と口パクしているのに気が付いた。
それまでいい気持ちで歌っていたのが、急に恥ずかしく思えて、涙がダラダラと止まらなくなった。
帰りたい。終わりたい。恥ずかしい。自分はなんてバカなんだろう。
隣のお友達に泣いていることを気づかれたくない。
一生懸命我慢したが、ダメだった。こんな発表会なんて、最悪だ。
会場で見ていた母は帰宅してから、「何かあったの?」と尋ねてきた。
話せばまた涙が出てきそうだし、母に私の気持ちがわかるとも思えなかったので、「目にゴミがはいったんだよ。」といってごまかして、その場をしのいだ。
すると、家の電話が鳴った。
園長先生からの電話だった。
先生は母に「今日、泣いてしまったの、私のせいじゃないかと思うんです。私が口をあけて、と言ったのが、悲しかったのではないかと思って」電話をしてきてくれた、とのことだった。
ああ、先生は気づいてくれたんだ。
私はまた泣きそうになった。自分の心の中にどうしてもコントロールできない感情があって、そして、それに苦しんでいることを、園長先生は気が付いているんだ。わかってくれる人はいるんだ。
あれから、30年以上経った今は、泣くこともすっかり減って、ずいぶん生きやすくなった。わかってくれる人がいるんだ、ということも乗り越えられる大きな要素だったようにも思う。
自分も人の親となった。
子どもの心のこまやかな気持ちの揺れにも、添い遂げられる親でいたいと思う。