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ストレスは発散するものなのか?

ストレスは発散するものなのか

先日「お酒飲まなくて、ストレス発散どうしているの?」と経営者の先輩から尋ねられました。

とっさに「犬の散歩」とか「ダンス」とか伝えてましたが。

そもそもストレスは発散するものなのか?という疑問が自分の中で出てまいりました。

ストレスに向き合ってみる

ストレスって怪我のようにカタチのないものなので、ある意味心の持ちようではないかと。

ストレスの原因が明らかなら、そのことにまず向き合ってみる。

自分で解決のできないものは、もう諦めるしかないというか、考えるだけ無駄なので忘れる。

それでも忘れられない場合は、そこに忘れられない自分の心の癖があるので、「寝る」しかないかと。

自分で解決できるものであれば、行動すればよく、行動できないなら自分の責任なので。

「自分残念だね」って思う。

たいていは解決できるので問題ない。

ストレスの根本は発散できないから

なぜ、この思考なのかというと、そもそもストレスってのは要因があって、代替えの行動をとったところで、

それはストレスの解消ではなく、ストレスへの回避だから、何も解決できない。

回避を上回る快楽をかぶせているだけだから、またストレスがたまると快楽を上書きする。

これって依存症じゃないの?って

なので人は、薬、お酒、ホニャララに依存しちゃうんですね、

依存症は、体を壊すか、さらに心を壊してストレスへの耐性を低くする。

悪循環

つまり、ストレスは発散じゃなくて向き合って解決ってことですね。

付け加えると、世の中なんで自分ではどうしようもない出来事だらけなので、ストレスがでてきたら客観視して、

「いま自分な何に試されているか?」と冷静な判断、客観視できるようになれるといいですよね。

私もストレスとかメンタルやられる時は、「メンタルやられてまんねん!」とわめきながら、客観しして

冷静になるように時間をかけて解決させます。

結論

もう一度、私の中での結論

「ストレスは発散するものではなく、解決するもの、解決できない場合は忘れる」

追伸:お酒をやめた原因は健康上のことなんですが、自分の健康もさることながらストレスによる飲酒で亡くなった母(49歳)への思いと、

やめてみて若い頃の自分に向き合ったら、そもそも飲酒は好きではなかったということを思い出しました。

このことを考えさせていただいた先輩経営者に感謝です。
ありがとうございました。


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