フィンランド教育の"学びの先"にあるもの【Part2】
2024年春に行われた*フィンランドGTPの報告会 in 大阪を行いました。今回、私は直接現地にいくことができなかったのですが、オンラインで参加して学んだことをまとめていけたらと思います。
研修全体では「教育」と「個人/社会のWell-being」の繋がりについて考えていきました。今回の研修では「教育と個人のwell-beingの繋がり」にフォーカスする対話が多かったように思えます。
「私たちはどのように学びを深めていくのか?」
このフィンランドGTPでは「幸せな自立を育む」教育を探究していくために、理論と実践と対話を往復しながら集まったメンバーで学びを構築していくことを大切にしています。プログラムでは、事前研修から現地研修、事後研修というように関係性を構築するところから始まり、現地で共に学びを深め、学んだことを社会に向けてアウトプットしていくところまでを大切にしています。
早速2人のプレゼンターの学びをシェアしていきます!
プレゼンター①「学びやすい環境ってなんだ!?」
◎行く前の疑問
・フィンランドの教育って日本と何が違う?どこがいいの?
・学生じゃないと学べない雰囲気がありそうだから、全人類が真似るのは?
・居心地が良いを追求できる、選択肢がある
ポイントとして、それぞれの心地よいを自由に選択できる場がありました。この写真の中にも、様々な機能をもった椅子や机があるのがわかります。具体的には、バランスチェアや仕切りのあるソファー、Yogibo等の一人一人のニーズに合わせて選べる環境がありました。また、自分に合った環境を選ぶときに、一部の人が使うことで「ずるい」という雰囲気になるのではなく、みんなが選べる雰囲気があるように感じました。
実際に学校現場で見たのは、小学生の女の子がイアーマフとパーテーションを自分で準備して集中できる環境をつくっていたことです。自分が小学校の頃は、どんな環境が集中できるのかをわからなかったから、小学生であっても自分で集中できる環境をデザインできるのはすごいと思いました。
また、アシスタントの先生の役割にも違いがありました。日本だと、アシスタントの先生は特別な支援が必要な子どもについているイメージがあり、どの子に支援が必要なのかが分かるのに対して、フィンランドではサポートが必要なすべての子どもに関わっていたので、どの子が特別な支援が必要なのかがわからなくなっているようにも思えました。
・境界線が薄く、幅がある
学びやすさのポイントとして「境界線が薄く、幅がある」ことも要因にあるのではないかなと思います。まずは、社会の中の施設(図書館)にあった性質の異なるエリアについてです。
上の写真のように手前が自習室のようなスペース、真ん中が交流するスペース、奥はキッズスペースのように、明確な境界線が引かれているのではなく、じんわりと境界線がある感じがありました。このように、明確に空間が区切られていないことで、いつでもゆるやかに空間を選ぶことができるのも学びやすさにつながっていると思いました。
境界線が薄く、幅があるのは、「学校生活」の中にもありました。具体的には「休み時間と授業時間の境界」についてです。日本だと休み時間と授業中の間に明確な境界線があり、休み時間の後の授業に遅れると先生に叱られることはしばしばあると思います。その一方で、フィンランドの学校は、休み時間と授業時間の間には、緩やかなグラデーションのようになっています。時間になると先生が子どもたちにアナウンスを行いますが、時間に遅れても叱られる雰囲気はなく、だからといって乱れている感じでもないように感じました。
<ちかちゃん的きづき「学びやすさと境界線のつながり」>
自分の勤めている学校の「1時間目、2時間目…」というような時間の区切りをつくらないことを大切にしている取り組みと繋がりました。この考え方には、1時間目と2時間目の授業の間に境界線を明確にすると、子どもたちが学びに集中していても時間割上で区切らないといけなくなってしまうからなのかなと思いました。国際バカロレアのPYP校では教科融合の学びを大切にしているので、そもそも国語、算数、理科、社会等で分けない学際的なカリキュラムになっているので、時間割で区切ることが学びに区切りをつくってしまるデメリットを感じました。(実際に私の教室では、1、2時間目に区切りがない(=休み時間がない)ことで、子どもたちはその間では時計を見ることが少なく、90分間という括りで学びをデザインできるので緩やかに教科を横断することができることにつながっています。その一方で時計を見る習慣がなくなり、時間感覚が弱くトレードオフになっているように思います。)
また、もし明確な境界線を大切にするのであれば「時間を守る/タイムマネジメント」だけにフォーカスした声かけが中心になりがちだと思います。時間割上の明確なオンオフをつくるために時間管理を徹底することで、子どもたちの中で「時間を守る」ことが目的になってしまい、それ以外のことに意識や思考が回りにくくなるのではないかなと思いました。もちろん、時間を意識して動くことは大切なので、大切なことは伝えつつも「時間」だけにフォーカスしない声かけを大切にしようと思いました。
実際にフィンランドでも時間割はあるのですが、専科の授業(英語、技術家庭、体育、音楽等)を除いては、空白になっている時間割を見たことがあります。これは、子どもが学習に集中しているときに、フレキシブルに時間割を変えられる考え方がベースにあります。
「学年」にも緩やかな境界線がありました。この学校では、プレスクールから小学1/2年生混合でグループになって学ぶ時間がありました。これは、フィンランド全土でも取り組まれているものになります。
<ちかちゃん的きづき>
日本では、「小1プロブレム」や「中1ギャップ」ということをよく耳にすると思います。この原因としては、幼稚園から小学校の環境の変化や小学校から中学校への環境の変化に大きなギャップがあることによって起きていると思います。具体的には、幼稚園は子ども主体の教育が行われていたのが、小学校に入るといきなり集団をベースにした教育に変わり、ストレスを感じる子どもがいるように思えます。もし、この環境の変化が明確な境界線でなく、緩やかな境界線になることで、子どもたちも緩やかに環境の変化を受け入れることができるのではないかと思いました。発達面でも、プレスクール段階で小学1/2年生と一緒に学んだり交流できる時間があることで、自分の年齢が近い人から学ぶことで発達が促進される考え方(ヴィゴツキーの発達の最近接領域)とも繋がり理論的にも理解できる取り組みだと思いました。イエナプランの異年齢での学びも同じ考え方に近いように思います。そもそも「区切る」という考え方が効果的に機能している場合とそうでない場合があることを考慮した上で、どのように境界線をつくるのかを検討していくことが大事だと思いました。
プレゼンター②「日本とフィンランドの教育の違いって?」
◎ Meは何しにフィンランドへ?
・日本のフィンランドの教育の違いを見つけ、それぞれの良さを考える
実際にフィンランドの学校現場を見て、最初に感じたのは「なんとびっくり!同じところがいっぱい!?」具体的には、チャイムで子どもたちが動いていたり、ある子どもが「あの先生嫌い〜」って言っていたり。「教育システムは違えど、子どもは同じだな〜」と。その中で、1週間学校現場を見る中で見えてきた些細な違いについて紹介していきます。
さらに、教育の目的が異なりました!これは受験がないことも影響していると思います。日本だと受験があることで、子どもたちは「学ぶことと競争」が繋がっているように感じ、自分との比較よりも他者との比較が起こりやすいように思います。ここで、フィンランドでたまたまみたテスト返しのエピソードを紹介します。
◎ テスト返しエピソード
フィンランドの学校現場でみたテスト返しでは「前回より〜点上がった〜」と友達同士で話していましたが、子ども同士でお互いに点数を見せ合ったり、友達と比べて一喜一憂している様子は見られなかったです。たまたま見た教室がそうなのかもしれないですが、テストも順位がつけられることはないので、あくまでも自分自身との比較をしているように見えました。
「じゃあフィンランドと同じようにしたら日本も幸せな国になれるのか?」
私の中で、表面的なシステムを同じにするだけでは、そもそもの文化が異なるので同じこと(ソファーを置いたり、少人数学級にする等)をしても同じ結果になるのではないと思った。フィンランドの社会にある根底の価値観として「trust(=信頼)」がありました。その具体的としては、国が学校現場を信頼しているから、学校が自分たちの置かれている環境や目の前の子どもたちに合わせて環境をデザインできていました。それによって、学校現場、もっというと各教室でデザインされている教室環境が異なりました。
最後に…
また、学べる機会が多いのが幸せな要素の一つなのではないかと考えます。日本は義務教育も整っていますが、日本では、毎日同じルーティーンの中で幸福を感じるのは難しいと感じます。もし、その中に何か1つでも「これが面白い!これが楽しい!」というものがあるだけでも明日が楽しみになると思いました。そして、この「知りたい」気持ちが幸せの要素の1つになるのではないかなと。
私の学び
途中電波が途切れてしまい、自分の解釈が多めなところもありますが、この春に一緒に学んできたことを届けられたらと思いnoteにまとめてみました。今回の報告会でも私の中で「境界線が薄く、幅があることが学びやすさに繋がる」というのは、発見になりました。具体的には、フィンランドでは様々なところに明確な境界線を作っていないように思いました。
・先生とこども
>先生と子どもは対等であり、でも友達ではない関係性
・特別支援の子どもとそうでない子ども
>全ての子どもが合理的な配慮のサポートを受けられる、でも子どものニーズに合わせて3段階のサポートはある
・休み時間と授業中
>休み時間と授業中が時間割上分けられているが、オンタイムで着席する徹底まではされていない。
・教室環境
>合理的な配慮を自分で選択できる環境が教室にあり、支援が必要な人もそうでない人も同じ環境で学ことができる
・時間割(1時間目と2時間目の区切り)
>1時間目の学習に集中して取り組んでいたら2時間目も継続して同じ学習を続けられる流動的な時間割
・複式学級(異学年編成)
>異学年で学ぶことで、slow learnerは自然に前の学年に戻れて、fast learnerは次の学年の学習を緩やかに進めることができる。
・不登校支援の考え方
>中学校で不登校になった子が小学校に戻って学ことができたり、小学6年生が小学1年生の教室で過ごすこともできる。
・ダブルスクール
>自分の進路を考えて専門学校と普通科の高校を同時に通える選択肢が当たり前にできる。
・生涯学習etc…
>何歳になっても学び直しができるので、専門学校は15歳と60歳の人も一緒に学んでいる光景がよくみられる。
改めて、自分たちは分かりやすさから「区切る」ことをしてしまいがちだなと。2つに区切ることで分類しやすくなるメリットがある一方で、どちらにも属さない人にとって居場所が感じられなくなったり、学びにくい環境が生まれてしまうことが起こりうるんだろうなと。
「なぜ、私たちは分類してしまいがちなのか?」社会がインクルージョンになっていくヒントを今日の報告会の中でヒントを得れたような気がします。
さて、フィンランドGTP6期も事前研修、現地研修、事後研修、報告会と徐々に学びも次のサイクルに入ってきました。フィンランドで学び、教育現場に出る人、色々なカタチで教育に関わる人も100名を超えてきました。今は、次のフェーズとして、学びがコミュニティを超えて広がっていくためにはどうしたらいいのかを考えるきっかけにもなりました。
7期のフィンランドGTPも夏に開催されます!まだまだ参加者募集しているので、気になる方はこちらにご連絡を頂けたらと思います!
moimoi