
【国際バカロレアの教育】教科融合が実社会とつなぐ?
今、私は国際バカロレアの認定校であるサニーサイドインターナショナルスクールで小学5/6年生の担任をしており、概念型探究をどのように実践しているのかをまとめていけたらと思います。まだまだIB教員2年目の実践ログなので、どのような場面に難しさを感じながら概念型探究の授業にトライしているのかについてまとめていけたらと思います。
さて、今回のnoteでは、国際バカロレアの学びへのアプローチの特徴の1つである教科の枠を超えた学習について具体的な実践をもとに私なりの考えをまとめていけたらと思います。このパートは全3回に分けてまとめていきます。Part1では、そもそも教科融合とは何か?ついてまとめてみました。
今回の問いは「教科融合で学習するのはなぜか?」という問いで深掘りをしていきます。キーワードは「教科融合と実社会とのつながり」になります。
今の日本の現状「教科と社会のつながり」
「そもそも私たちは、学校で学んだ教科の知識やスキルが実社会とつながっていると感じたり、応用ができてるなと感じることはあるでしょうか?」
以下のOECD生徒の学習到達度調査の情報を参考に考察していきます。

このデータからも、日本の数学の授業は日常生活とからめた指導を行なっている傾向がOECD平均と比較して低いことがわかると思います。面白いのは、学校で学んでいる数学と日常生活がつながっていないと学習者が感じていても、PISAの学力結果を見ると、以下のようにOECD加盟国の中で数学的リテラシーのスコアは1位になっています。

この結果を踏まえて、数学的リテラシーのスコアが取れている中今のままの数学教育で良いと考えるのか、或いは既存の数学教育の方向性を変えるのか、これは数学教育以外の他の教科でも同じような傾向があるのではないかと予想しています。日本の教育カリキュラムが、教科特有の知識とスキルを学習者が理解しやすいようにある体系化されており、学校の試験や入試で点数をとるための教育水準は世界的にみても高水準であることは言えるのかなと思います。
一方で、日本の教科ごとに体系化された教科カリキュラムとは、異なるアプローチが教科の枠をこえた学習なのではないかと考えています。これは、対極にあるように見えますが、IBでも教科の知識やスキルと教科の枠をこえた学習は相互作用しているものと考えられています。言い換えると、教科の知識やスキルなくして、教科の枠をこえた学習は成り立たない考え方です。このことについて、研修の中でXYZ軸で例えた例が分かりやすかったので、参考までに紹介させていただきます。

今日本の学校で行われている授業というのは、XY軸の平面的な学習であると言われています。ここに、「教科の枠をこえた」概念(対立、平和、平等、公平等のユニットで学習者に理解してほしい概念)という軸を入れることで、異なる教科間の関係性やつながりを見つけ、知識を統合的にとらえる力が育まれていくことになります。
PYP「教科の枠を超えた学習」の背景にある教育哲学

「そもそも教科の枠をこえた学習とは何か?」

PYPでは、上に書かれた6つの教科の枠をこえたテーマというものがあり、この「教科の枠をこえたテーマ」とつながるセントラルアイデア(学習者に構築してほしい概念的理解)が設定され、学習者が概念的理解を自身で構築できるように探究の流れが設定されています。つまり、この教科の枠をこえたテーマというのは、ユニットの方向性に大きな影響を与えていることになります。イメージにすると、以下の図のようになります。

ボイエの代表的な研究『The Basic School(基本的な学校)』に書かれている「人間の共通性」がPYPの6つのテーマを定義するうえで大きなインスピレーションをもたらしたと書かれています。
私がこの教科の枠をこえたテーマを初めて目にした時に、印象的だったのは「私たち(we)」という主語が使われていることでした。
「なぜ、私(I)ではなく、私たち(we)という主語にしているのか。」
ここに国際バカロレアが大切にしている哲学のようなものが組み込まれているような気がします。「私は誰なのか?」「私はどのような時代と場所にいるのか?」という言い回しにしてしまうと、知識というものが「私」によって構成されるところで完結してしまいます。しかし主語を「私たち」にすることによって、共に学ぶ学習コミュニティの中で、「私はAについてBと考えた。あなたは?私はCと考えた。…なるほど、じゃあAについては、Dと考えることもできそうだな…」というように、個人の経験だけで知識を構築するのではなく、知識とは学習コミュニティの中で構築していくプロセスであることを意図しているように感じます。
実際に、IBの考える学習の根幹には社会構成主義の考え方が土台にあることが「学習と指導」に書かれている内容からもわかります。
「教科の枠をこえたテーマ」は、児童が自分の声を他者と共有し、個々人の経験や背景から来る複数のものの見方をもとに、協働しながら共通の基礎を探究するように促すことを意図した言葉で書かれています。このように経験を共有し合うことで、地域社会や国といったコミュニティーの枠をこえ、他者の経験に対する認識力や感受性が養われます。現在、学習や学習内容における計画性と偶発性のどちらもが同じように重要視されるようになってきており、その結果、より学習者中心で、よりアクセスしやすい学習が促されるようになりました(Beane 1995)。 児童の声を重視する PYPの教科の枠をこえたモデルは、知識とは固定的かつ普遍的な最終目標なのではなくむしろ社会的に構築されたプロセスであるととらえており、また、このプロセスとしての知識を支えることが児童の利益につながると考えています (Dewey 1991; Vars 1991; Beane 1997)。
PYP「教科の枠をこえた学習」の先にあるもの
「PYPの"教科の枠を超えた学習"の先にあるものとは何か?」
国際バカロレアが発行している「学習と指導」には「PYPの教科の枠をこえた学習と生涯学習者」としてのつながりについて次のように書かれています。
「教育の最も重要な側面は、特定の知識を伝授することではなく、必要な時にどうやって知識を見つけるか、その知識をどのように取り入れるか、その知識をどのように統合するか、新しいアイデアをどのように統合して問題を解決するかを学習することである」(Ertas 2000: 14)。PYPの教科の枠をこえたプログラムは、まさにこれを達成します。
「教科の枠をこえた学習」とは、1つ前のnoteにもまとめたように、ケーキをつくる学習プロセスに例えられます。

教科の枠をこえた学習では、児童生徒は、どのような教科が混ざっているのかが見えにくくなっており、教科ではなくて現実世界で起きている現象を教科で切り分けて学ぶというよりは、その現象を教科の知識やスキルを手段として学んでいくようなイメージになります。つまり、教科の枠をこえた学習を経験した子どもたちは、世の中で起きている複雑な現象に対しても、グローカな視点で考えられるようになってくると思います。
例えば、今世界で起きている経済格差の複雑な問題についても、実際にシュミレーションゲームを通して、格差がどのように再生産されるのかを経験し、格差の原因になっているものを分析したり、格差が再生産されないために政府はどのように介入することができるのかをディスカッションしたり、数学的な見方考え方を働かせて税率の調整を考えたりするワークを行いました。以下のnoteに詳細をまとめています。
このように大人でも考えることが難しい社会の中で起きている現象に対しても、一つの教科ではなく、複数の教科(視点)から教科の枠をこえてアプローチをすることで、複雑な世の中の問題に対しても考えるスキルが育まれるのではないかと実際に子どもたちと探究しながら感じています。
今回、思考の整理も兼ねてIBでの学びを言語化している背景には、2月9日にオンラインで行われるイベントで、これまでに私が勤める学校コミュニティで学んできたことをシェアする貴重な機会をいただいたことが背景にあります。私だけの実践ではなく、これまでに積み上げられてきたサニーサイドの文化の上に成り立っている実践事例の一部になります。是非興味のある方は見にきていただけたら嬉しいです。

申し込みは以下のリンクからできます^^
いつも読んでいただきありがとうございます。