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菩提樹/続・菩提樹
幼い頃に両親を亡くし修道院で暮らしていたマリア。院長の勧めで住み込みの家庭教師として働くようになり、1927年(昭和2年)、その邸宅の主で元オーストリア海軍将校のトラップと結婚する。
結婚から5年、トラップ は、従弟が経営する銀行の不振を救おうとイギリスの銀行から財産を移したが、銀行は倒産。自身も破産に追い込まれてしまう。妻マリアは、夫がナチスに狙われ始めたことも知り家族の将来を案じて国外亡命を夫に提案。7人の子供と歌う家族合唱団でのアメリカでの成功を信じた。
ドイツによる併合の1938年(昭和13年)、一家はニューヨークに辿り着くものの、敵国ドイツの言葉を話す彼らのエンターテイメントが受け入れられるのは簡単ではない。
貧しい暮らしの中での夫婦の諍いなど描かれていて、「サウンド オブ ミュージック」とは趣の異なるドラマに仕上がっている。
記録されているその後のマリア。
夫(享年67歳)の死後彼女は自伝を出版。それが下敷きとなった舞台や映画が世界的大ヒットとなったわけだが、経済的な困窮は続いていてエージェントに安く著作権を売ってしまったがために大ヒットの恩恵を受けられなかったという。
合唱団の活動を終えて、数人の子供たちとともに、故郷ザルツブルクに似た光景のバーモント州でロッジを運営し自給自活を続け、1987年(昭和62年)、82歳で亡くなっている。
名家に嫁いだはずのマリアの予想だにしない転身、逞しい生き様。夫は名家と男爵のプライドより家族を守り通した。
When the Lord closes a door,
somewhere He opens a window.
今やるべきことに向かおう。そうすれば扉は開かれると信じて。
1956年西ドイツ/1958年西ドイツ