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バカの壁を感じた瞬間

「バカの壁」という養老孟司さんの有名な本がある。

考える人と、考えない人の間には「壁がある」
「他者と分かり合えるということは妄想であり事実ではない」
「知識や思考力に差があると話が通じることはない」

という内容だ。

先日、職場の人とやりとりしていた時に見えない壁を感じた。

とある内容を共有したくてLINEしたら、最初に返ってきたのが斜め上の質問、

すこし考えれば回答も自ずとわかることだ。

わかりきったことを聞かれて「??」となり

おもわず「〇〇ではないことはある?」と聞いたら


「確認やん」とのこと、そもそもこの確認が不要である

思い切って「ちゃんと考えてからこの質問したの?」って聞いたら

「ええやん」とのこと。

何がいいのか全然わからない。
その人は的外れな質問をしては相手をイラつかせていることに気づいていないのである。

思い切ってそのことを伝えてみたら

「そうなんだ、気をつけるようにするね」とのことで一応は反省しているらしくて、もう終わりかなと思っていたところ、、


でも、、


でも????何が言いたいんだ?

「そんなことで怒る人って器が小さいよね」
(私が的外れな質問を考えずにしたとしても優しく返してほしいよね)
↑これは私が推測した心情

「わたしいつもそうやって人に冷たくされる」とのこと。

そもそもだけれど、的外れな発言をしなければ、相手に時間を使わせることがなかったわけで、相手の時間を奪っているということにも気づいていないようだった。
相手には相手の時間があるから必要以上に奪ってはいけないのである。
相手は自分の思い通りになるとでも思っているのだろうか、さらに呆れた。

つまり、相手が「それくらい考えたらわかるでしょ」と思うことに対して怒っていることがわかっていないのである。そりゃ相手からしたら怒りたくもなる。

相手との間に壁があることに気づけていないのだろう。
そして、自分が悪いと思うこともない。きっと「気をつけるね」もとりあえず言えば納得するから言っておいただけ。

その後にまたよくわからないどうでもいい発言をしてきた。このま言い返しても平行線だなと思ったからやめておいた、夜も遅かったしもう寝たい。

朝に「そういえば昨日の発言はどういう意図だったの?」と聞いたら

「え……特に考えてなかったかも」とのことだった。


考えずに発言しているから相手がイラつくんだよ→わかった

というやりとりをした後にこの発言である、何も反省していないのだろう。

その後数通LINEがきたけれどもう放置している。返しても何もいいことがないから。

この人は昔からそうだった。怒られないようにすることだけを考えて、とりあえず謝っておけばいい、反省しているふりをすればいい。
「自分が悪い」なんて思っていなくて、結局何もしていないのだ。

待ち合わせの時に30分待たされたことがあった。その時も確かに謝っていなかった。遅れたのは、ダウンジャケットを小さく畳むのに手間取ったから。
ダウンジャケットが小さく畳めないのが問題で、私は悪くない。
→待たされた相手のことは考えていない、あくまで自分都合のことだけを考える。
後回しにしたらよかったんじゃないの??

あとは、本の内容を教えて欲しいと言われた時。
その時も少し遅刻してきた、待たせていることを悪くは思っていないようだった。
驚いたのはそのあと。
なんと本の内容を1%も理解していなかったのである、なぜ、他人が全て教えてくれると思っているのだろう、他力本願もいいところである。
ちなみにつみたてnisaの内容だったがまだしていないっぽい。設定するだけなのに。
実行もしないのに人に本の内容は説明させる、よく分からない。
無駄なお金を使っては貯金が貯まらないと言っていた、それはそう。
ドーパミン的快楽を追い求めているから。


相手の機嫌が悪い時にも、自分は悪いとは思わず、ただ愚痴るだけ。
相手のことを考えているふりだけするから、浅い関係の人には良い人だと映っているのだろう。でも、実際は相手のことなんて考えていない、言い訳ばかりするから。「自分は悪くない」「相手が悪い」



資料作成をお願いした時も、ただ貼り付けただけの文字の多い資料ができていて

「これ、見る気になる?見る人の立場になってみた?」
と聞いたら

「全然考えてなかった」とのこと。

思わず「え、、、、、」となってしまった。

「どうやったら見てもらえるか」とか相手の立場に立つことができていないのである。
これも、とりあえず怒られないようにすることだけを意識しているからそういうことになったのだろうと推測。

「怒られたら嫌だから、とりあえず資料作っておこう」


あとは、「優先順位考えた?」と聞いたら

「優先順位は自分で考えるものなのか、、」という発言

どうして他人があなたの仕事の優先順位を考えないといけないのだろう

他人思考すぎる、なんでも他人がやってくれる。と思いがち。

自分でしなければ何も変わらないのにね。
ここにも大きい壁がある



自分で考えない人生は楽だけれど、何かうまくいかないことがあると愚痴るだけで成長がない。


世の中の人は「自分が悪い」と考えたくないのだろうか。
「自分が悪い」と思うと自分の能力不足を痛感することになるから、嫌なのだろう。でもそれを思わないと成長しない、ま、毎日楽しければそれでいいのだろう。そんなもんかな。

うまくいかないのは他人のせい、わたしは悪くない。

なんでも外部要因のせいにしておけば楽である。

テスト1点足りなかった時も
「あれは私のせいではない」と言っていた。
自分がもっと勉強しておけば落ちることはなかったのだろうけれど、
あくまでも自分は悪くないと思っていた。

いやいや、それは勉強不足よ。

と思うけれど「覚えられない」「できない」とすぐ否定語を使う。

そう言われると反論も面倒になる。他人の思い込みまでを変えることは難しいからだ。
勉強していても「覚えられない」とか思いながらしていたらそりゃ覚えられないよね。なんでも、コツコツやるしかないんだけど。

他の人は努力せずに覚えられるのにわたしは覚えられないとでも思っているのだろうか、他人は努力をしている。わたしは努力してもできない、、

勉強することは自分の無知を認めることになるので、それが許せないのだろう。

接客していても「わからない」を使う人は多い。
「わからない」のではなくて「わからない私」を認めたくない、「考えたくない」「納得したら負けな気がする」という人もいる。

自分自身に対して「私頭が悪いから」という否定語も使ってはいけない。

あ、この人は考えることを放棄しているんだな、自分で自己評価を下げているんだ。わからないことを正当化しているな。というふうに見えるけれど本人はうまく切り抜けたと思っている。

そして周りの人は離れていくのだ。後に残るのは「かわいそう」だからしぶしぶ付き合ってくれる人。

でもそんな優しさも本人にとっては「搾取する相手」でしかないからどんどん人が離れていく。


やはり「自分の頭で考える」ということが必要なのである。

考えて自分が悪かったなと内省できる人と、考えないで他人のせいにする人の間には高いバカの壁が存在しており、年々それは高くなっていき

やがて分断されていくのである。

世の中はそうなってきている。

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