松崎にて 後編

(前編はこちら

夜中に目覚めた。時計は見ていないが、おそらく三時から四時くらいだろうか。

…静かだ。

本当に、静かだ。何の物音もしない。

耳を澄ませて、ようやく、微かに虫の音が聞こえる。

普段なら同じように目を覚ましても、何らかの音が聞こえている。ここが田舎だからという訳でもないと思う。なぜならここよりさらに過疎地である私の実家では、この時期なら煩いくらいの虫の声が聞こえるからだ。

こんなに音のない夜は、初めてかもしれない。

今までも鄙びた場所への旅は何度もしている。だがそれでも、何らかの音は聞こえていたのだ。
例えば離島なら波の音。山奥なら夜行性の鳥の声、それこそ実家での虫の声、蛙の声。ああそれから、意外と車は通ってるな実家の前、街と街の経由地だからかな、などど考える。

今はただ、はっきり聞こえるのは自分の鼓動。まるで、世界に私しかいないような。他には何もない。

感覚が鋭敏になりすぎているのか、眠気はあるのに眠れない。半覚醒のような、不思議な状態。

耳が音を探している。


まんじりともできず、取り留めのない様々な思考が駆け巡る。多分1時間以上はそうしていたと思う。
チチチチと鳥の声がして、意識が現実に引き戻された。

夜明けだ。

広縁の引き戸を開け、がたっと軋むその音の大きさに一瞬どきっとする。この数時間で一番大きな音だ。

山の端が白んでいる。夜と朝の間の時間。旅先で見る、好きな景色だ。
しばらくぼんやりと眺め、また布団に入る。温泉に入ることも考えたが、あの熱さでは目が覚めてしまう。起きて行動するには流石に早すぎる。

ようやくうとうと微睡む。

外から少し物音がし始める。新聞配達のバイク。窓を開ける音?人の気配がよかったのか、やっと深い眠りが訪れた。

床が軋む音や、人の話し声が遠くに聞こえる。
おそらく朝七時過ぎ。他の宿泊客だろう。そうだここは古民家の宿、防音性はないのだった。
しばらく寝返りを打ったりしていたが、また静かになることもなさそうで、意を決して起きる。熱いお湯に浸かって目を覚まそう。そして朝ビールだ。
広縁の窓窓の向こうにふと目をやると、黒い塊が。沓脱石の上に黒猫がいた。黒猫は私のラッキーアニマル。

風呂上がりにうろうろしていたら、ロビーに女将さんがいらっしゃったので、先にお支払いを済ませながら少し話をする。
朝食どこかに食べに行くか聞かれ、少し前までは板さんがいたがお亡くなりになって、素泊まりのみにしていると聞く。
つげ義春の話も出たので、私も読んでいたことを伝え、長八の間を見せていただけるか打診。
今日はその部屋に泊まりのお客さんがないということで、特別に見せていただく。漫画そのままの部屋に、窓周りに長八の鏝絵。一人でもここに泊まれるとのことだが、広すぎて少し贅沢。しかしこの鏝絵の龍や虎の迫力はすごい。近くで拝見できてよかった。

さて、今日はどうしようか。ビールを飲みながら考える。
まず天気をチェックすると、そこまでいいとは言えない感じ。そして今日も暑い模様。
ということなので街歩きはやめて、美味しいものをいくつか食べて帰るとするか。

チェックアウトまで時間があったので、散歩がてら外出する。すぐ近くに神社があり、参拝をしに。
初めての土地に来た際は、その土地の鎮守さまにご挨拶のお参りをすることにしている。こちらは伊那神社で上社と下社とあり、上下の謂れはわからなかったがやはり両参りが良いだろう。宿からはどちらの距離も、徒歩で僅か数分。行かない理由はない。

上社は白い鳥居があり、素朴な山神社といった風情。しかし歴史はあるのだろう、古い木造だし、御由緒を読むと元は三島権現を祀っていたようだ。何か祭祀をするのか、注連縄を張った整地があった。

中間地点で、地元のスーパーが開いていたので覗いてみる。手作りのおにぎりでもあれば朝ごはんにしたいところだったが、残念ながら運ばれてきたもののよう。
やはり活魚は豊富。そして安い。なんとハモが四十円!

そして下社。大きな赤い鳥居と、参道は短いが思いのほか大きな拝殿に参拝。
本殿の後ろに回り込む形で古代祭祀場もある。この山にいたという龍の伝説にちなみ龍の道と名付けられた小道を通り、そちらも拝観する。古代は山岳信仰もあったのだろう、山頂を見上げて拝むような形で配置されている。
木々の間からさあっと光が差し込む。うっすら靄がかって見えるのは、気温が上がって地面からの水分が蒸散していくからだろうか。きらきらとした粒子が見えるようだ。本当に龍がいるような神秘的な光景だった。
御朱印と水神社の湧き水をいただく。

宿に戻ると、ちょうどチェックアウトの時間。
若女将と思しき方が対応してくださった。何もないところだけど、またお越しくださいね、と。私にはすごく良かったです、また来ます、と伝え宿をあとにする。

名残惜しい。もっとこの風情を満喫したかった。今度来たら、温泉三昧で部屋でゴロゴロしたい。ここでワーケーションもいいなあ。いや仕事は持ち込まない方がいいか?などと考える。

海に出てみると、昨日とは打って変わって、ちょうど干潮どきでもあったのか波打ち際が遥か遠くにある。
波と戯れるには、荷物とサンダルを置いて砂の上をだいぶ歩かないとならない。加えて、なぜか波が砂を巻き上げていて、足に付いた砂を落とすのも大変そうだ。
昨日とは違った意味で、足を浸けるのは厳しそう。やめよう。

陽が出て来て、やっぱり今日も暑い。そして本当に湿度が高い。これは無理せず、長く歩かないで帰る方がいいだろう。
というか、まず日陰で休みたい。お腹も空いたし、湿度に弱い私はすでに体力ゲージが半分くらいになってしまった。

ということで、おやつ?軽食?だ。
松崎は桜葉の産地なので桜餅が名物だけど、甘いものを食べる気分ではない…ということは、もう一つの名物・川海苔コロッケ。
考案のお肉屋さんはこだわりのあるお店のようで、お肉や揚げ油の説明書きなどいろいろと気になり、せっかくだしメンチカツなど何点か購入。注文してから揚げてくれるので、出来立てだ。

店外にベンチが設置してあり、ひと休みがてら座って、その場でコロッケにかぶりつく。

…美味しい!滑らかなマッシュポテトにちゃんとひき肉も感じ、何よりふんわり香る川海苔。衣にまぶしてあるだけかと思いきや、中にもしっかり存在。普通の海苔ほどの主張ではないから、いい感じにコロッケの中身と調和していてソースなしで素材の味が楽しめる。

うーん満足!ビールがないことだけ後悔。

他の揚げ物は道中のおやつか帰宅後のつまみにするとして。
これが呼び水となって食欲が湧き、早めにお昼を食べたくなったので移動することに。お昼は食べたいものがあるのだ。

バスの時間を調べて、乗る前に、昨日の飲み屋さんが経営している骨董屋さんに立ち寄る。
少し話をしつつ、いろいろ見せていただく。
確かに石が多い。立派なアメジストや瑪瑙、どこかで拾った石などもある。骨董の食器も目を惹かれるけれど、もうだいぶ家に増えているので見ない…と言いつつ、旧くはないが可愛かった小皿をお迎え。おまけで、私が気にしていた伝統紋様のお猪口をいただいた。

モノのお土産はそう買わないことにしているが、こういう旅の出会いの思い出込みの品は、いい記念だ。
バスの時間が近くなり、再訪を約束しお暇する。またお元気でお会いできますように。

バスターミナルから乗車。松崎をあとにする。暑くなければなあ、と後ろ髪引かれつつ。
路線バスで十五分。降りた沢田バス停の付近は、完全に漁師町の様相。網の干してある細い路地をわざわざ通ってみたくなる。
素朴な民宿や網元と思しき建物の間を通り、小さな入江に抜ける。小高い岩壁の上に、沢田の露天風呂が見える。今日はそこまでの余裕がないけど、行ってみたい温泉のひとつ。

さて、そこから徒歩一、二分で、目的のランチ。仁科漁港の沖あがり食堂名物「いか様丼」。
ここも以前仕事で訪れ、イカの美味しさに感激したのだった。そして、このイカで酒が飲みたかったのだ。日本酒がないのが残念だけど、ビールでもいい。暑いし。

お昼時なので流石に混んでいるが、平日だから待つほどではない。すぐに席に着けた。
丼のご飯をだいぶ減らしてもらってつまみ仕様。具のイカ刺しと漬けイカで飲るのだ!

ビールで喉を潤してその身を口に含めば、ねっとりと甘い。漬けは旨味が濃厚。ここのところ不漁により地物イカではないというが、やっぱりとびきり美味しい。この漬けだけで売っていたら買って帰りたい。

大体のイカを食べてビールが終わったら、締め。シャリが甘めなので、醤油を多く垂らして、最後に黄身を崩して卵かけごはん風にしてかっ込む。
また、この最後に飲む味噌汁が美味しいんだよなあ…アオサが海藻臭くなくて、磯のいい香りがする。

ああ、満足。ごちそうさまでした。

バスまで時間があり、隣の産直市場へ。
地野菜や特産品もたくさんあるけれど、やっぱり魚がすごい。立派なウスバハギのお刺身に、なんとウツボの切り身!なめろうや塩辛、いろんなもの買って帰りたくなる。これつまみにしたら日本酒進んじゃうなー。しかしこの後どのくらい持ち歩くことになるかわからないので、今日は諦める。

再びバス乗車。意外といい時間になっていて、途中下車する余裕はなさそうだ。修善寺までの快速だからか、思いがけずハイデッカー車で嬉しい。

車窓から堂ヶ島のトンボロ現象が見えて、歩いて渡ってみたかったなと歯噛みする。トンボロって方言かと思っていたけど、イタリア語だと知って驚いたいつかの記憶。

バスは順調に北上し、土肥の海岸が見えなくなる。さらばだ西伊豆の海。また会う日まで、と思いつつ、寂しい気持ちが湧いてくる…。少し目を瞑る。

修善寺。ついにここまで戻ってしまった。
ギリギリまで考えたが、ここからバスではどこ行くにも時間的にもう厳しい。電車で三島に帰るしかないか…とりあえずビール買って。

クロスシートの車両が来たから、かろうじてまだ旅気分は続くけど。

ああ、帰りたくないな。

旅が終わってしまう。なんだこの帰りたくなさ。久しぶりの旅だったから、一泊じゃ足りなかったのか。

電車に乗ってからも、まだしつこく考える。

長岡からフリーパス使えない別バス会社だけど三津あたりに出て、そこから沼津行きバスに乗るとか?

そうだ。広小路からなら乗ったことのない路線があるはずだ。それに乗ろう。

ちょうど良く乗りつぎできそうなのは、かなりいろんなところを経由して大回りで沼津に行く便。この未知の路線なら、あと三十分は旅を続けられる。

広小路で電車を降り、すぐに来たバスに乗車。
確かに乗ったことのないルートではあるが、見慣れた風景に、ああ、もう今回の旅も終わりだなあと切ない気持ちになる。

呼応するかのように、みるみるうちに空が暗くなってきた。

遠雷。と思いきや、突然の豪雨。

車内にいてもわかるくらいの激しい風に、横殴りの雨。バス停で、ずぶ濡れの女学生たちがきゃあきゃあ言いながら駆け込んできた。一気に騒がしくなる。

もう完全に、旅は終わりだ。


沼津駅。
さっきまでの雨が嘘のように、晴れ間が見えている。
なんだか不思議な疲れに襲われて、ひと息つきたくて、駅前のイタリアンに入りワインを飲んだ。既にここは日常だ。

これで今回の旅は締め、とする。


正直に言おう。

旅の感想として、まとまらない。
いくつかの印象的なエピソードはあり、とても楽しい旅ではあった。全体としての満足度はすごく高い。だけど。

思ったより全然のんびりできなかった。
海を眺めてぼんやりする時間もなかったし、波と戯れることもできなかった。楽しかったことは多いのに、できなかったことが後からついてくる。
やっぱりもう一日必要だった。連泊にして、中一日は何もしないで観光もしないで、ただくつろぐ日にすればよかった。

そして更に告白しよう。

旅をしながらも、今後の何かのネタになるかな、と思っていた部分がある。仕事に、取材になってしまっていたのだ。

そうだ。
思い返せばそもそも、今回の旅は、観光とか何かをする目的じゃなかった。

そうか。

私、からっぽになりたかったんだ。
結局それができなかったから、旅を終えたくなかった。

「何もしない」をするんだよ、か。
それは普段囚われている、義務感や生産性からの解放。
私は、人は、常に何かに囚われている。仕事、日常の些細な問題。社会的に見ても意識の上でも、常に「何かがある」のだ。
私が旅に出たくなるのは、そこから離れたいという顕れだ。

海で唐突に山頭火を思い出したのは多分、「旅」という共通点。漂泊の俳人と呼ばれるほどの旅人だからだ。
つげ義春も生涯旅をしていて、その多くは鄙の地だ。
彼らがどんな目的で(いや目的はないのか?)旅していたのかはわからないが、その作品に漂うある種の寂しさや諦観は、旅からの体感もあるのだと推測できる。

彼らも「何もない」を求めていたのではないだろうか?

松崎で出会った人は、口を揃えて言った。「ここは何もない町」と。

私が海や、鄙びた土地に惹かれるのは、「何もない」からなのかもしれない。

あの静かな夜。
そこには、「何もない」があった。

しかし、何もないところには、全てがあるのだ。色即是空、空即是色。

無は虚無ではなく、無限だ。

私はそれを感じたくて、からっぽになりたいのかもしれない。

そして私はまた、「何もない」ところに「何もしない」をしに行くだろう。


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