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分かち合う訓練―滅びないために

少々数字が並ぶが大事なことなので書くことにする。

「20世紀の資本」で知られる仏のトマ・ピケティら経済学者の調査報告「世界不平等レポート」によると2021年、世界の上位1%の超富裕層の資産は世界全体の37.8%を占めた。上位10%だと76%。一方で下位50%の資産は全体の2%に過ぎない。世界の成人人口51億人の所得と富(資産)の分布で区別すると、成人人口の下位50%の最貧層は25億人、中間層の40%(下位50%より多く上位10%より少ない収入)は20億人となる。上位10%は5億1700万人、最も裕福な上位1%は5100万人。だとすると5100万人の人(成人)が世界の富の4割を占有していることになる。驚愕すべき格差だ。ちなみに日本は上位10%の資産が57.8%。最上位1%で24.5%。下位50%は5.8%。やはり相当な格差だと言える。

 1901年内村鑑三が「既に亡国の民たり」という文章を書いている。この頃内村は足尾銅山事件に関わっていた。(原文は古風な日本語なので少し現代風にした)「国が亡びるということは、山が崩れるとか、河が干上がるとか、土地が崩壊するとかいうことではありません。国民の精神が崩壊したとき国は亡びるのです。人々に愛し合う心がなくなり、お互いを信じられず、友達の成功をねたみ失敗と堕落を喜ぶ。自分だけの幸せを追求し、他の人のことなど考えない。豊かな人は貧しい人を救おうともしない。教育がどんなに高尚でも、そんな国民はすでに亡びた国の民に過ぎず、ただわずかに国家の形をとどめているにすぎません」。特に刺さるのは「自分だけの幸せを追求し他人のことなど考えない」という部分。世界は内村が危惧した「亡び」へと向かっているのではないか。

「私が努力して儲けたのだ。文句を言われる筋合いはない」と言いたい人もいると思う。確かにそうかも知れない。しかし上記の調査を行ったピケティによると資本主義の富の不均衡は放置しておくと益々広がるという。それは「努力」の問題ではない。根拠となったのが「r>g」という不等式。「r」は資本収益率を示し「g」は経済成長率を示す。なんだか難しいが、こういうことらしい。保有している資本(資産・財産)を運用した利益、つまり「資本収益率」は経済成長率、つまり働いて稼いだお金を常に上回るというのだ。18世紀まで遡ってデータを分析した結果だそうだ。資本収益率が年に5%程度であるにもかかわらず経済成長率は1~2%しかなかったという。となると資産のある家に生まれたか、無い家に生まれたかによって勝負は決まる。だから簡単には「俺様が努力をして稼いだ」とも言えないのだ。この現実に内村が指摘する「亡国の民の精神」が追い打ちをかける。「自分だけ幸せならいい」。これが国を亡ぼす。

では、救いの道はあるのか。答えは単純だ。「分かち合う」しかない。世界が生き残るにはそれしかない。自然も富も力も独り占めしてはならない。隣国をむさぼり我が物とすることは自らを滅ぼすことになる。分かち合うための訓練。学校が、教会が、そして社会そのものが持つ教育の目的はそのことに集中すべきだと思う。

「分かち合う訓練」。それが亡国を防ぐ手立てなのだ。

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奥田知志
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