松ちゃんと僕らの物語 その5 行方不明
そんな少し光が見え始めたかと思えた夏も終わり、秋となった。その日は、生活保護の受給日。朝、いつも通り新聞を届けにきた松ちゃんに「保護費を受け取ったらちゃんと帰っておいでよ」と声をかける。松ちゃんは、笑顔で「おい」とひとこと残し、役所に向かった。
夕方、スタッフから松ちゃんが帰ってこないという連絡が入った。部屋を見に行ったが、やはり不在。あちこち探しまわったが見つからない。捜索もむなしく、三日目の夜となっていた。
水曜日の夜、教会では「聖書の学びとお祈りの会」がある。そこで松ちゃんが帰ってこないことを報告し、参加者で祈った。散会後、出席者の青年から電話があった。「奥田牧師ですか。祈祷会の帰りにスーパーに寄ったら、入り口に松ちゃんらしき人が寝てます」とのことだった。早速、お祈りが聴かれたようだ。しかし、それは新しい試練の始まりを意味していた。
車で店に駆けつけた。間違いない、松ちゃんだ。「松ちゃん。大丈夫。どうしてたの。さあ、帰るよ」と抱きかかえる。車に乗せる。酒臭い。自立支援住宅に送る途中、事情聴取が始まる。
「ところで松ちゃん。どこにいたの」。「えええ、ああ、ほごひぃ~、ムニャムニャ」。「寝たらあかんで。ところで保護費はどうしたの」。「ああああれね、あれは・・・、小倉駅の近所の◎◎と言う飲み屋に預けてるから、大丈夫」。何が大丈夫なのか、さっぱりわからない。「じゃあ、今から行ってみよう」と小倉駅に小倉駅にそのまま向かう。
松ちゃんが示すその場所に確かにその店はあったが、店休日だった。すぐにでも確かめたいところだが、ともかく酔いもひどく、一旦引き上げることにする。ひとまず自立支援住宅の自室に送り寝てもらう。「明日、朝9時に教会に来てね。約束だよ。みんなにも集まってもらうから」と言うと、松ちゃんは「りょうかい!」と少しふざけて返事をした。
翌朝、スタッフや担当ボランティア、副理事長の谷本牧師が結集。松ちゃんを待つ。迎えに行くことも考えたが、ここは信じて待つことにする。
予測した通り9時になっても現れない。「あれだけ飲んでいたから起きられなかったかな」と一同が諦めかけた時、松ちゃんが現れた。少々、酒が残っている様子ではあるが「おお、勢ぞろいやな」と松ちゃんはうれしそうだった。「笑ろうてる場合か!」と一括するが、どうもこの人には緊張感は似合わない。みんなが一斉に笑いだす。
「さて、もう一回聴くけど、保護費はどうしたの」。「だから、小倉駅の横の◎◎と言う店に全部預けたって」と松ちゃんは、昨夜と同じことを言う。「いや、いや、そんなことは無いやろう。なあ、松ちゃん。本当のこと言いなさい」と周囲が攻め込むが、松ちゃんは「絶対」という言葉さえ持ち出し「保護費は絶対にあの店に預けた」と譲らない。見かねた谷本牧師が「松ちゃん、本当の事いいや。奥田はその店今晩行きよるよ。この人も忙しいやから、無駄足になる前に本当のことを言った方がええ」と説得するも効果なし。松ちゃんは「絶対に預けた」とくりかえした。
これでは埒が明かない。一旦引き受けることにする。「わかった。ところで、ということは松ちゃん、今、一円も無いんやろう」「はい」と笑顔で答える。「千円を貸しとくから今日一日これで何とかしなさい。それと今後のことがちゃんと来るまで部屋から出あたらあかんで。」と伝え、その会議は解散となった。
その夜。谷本牧師と二人で小倉駅に向かう。例の店を訪ねるためである。開いている。「すみませーん」。店の中からご主人らしき人が現れる。「あの、私はこういうものでして」と名刺をわたしながら「実は、松井さんというおじさんがいまして、この店に生活保護費を全額預けたと言っているんですが、ご存じないですよね」。ご主人は、不思議なものを見るようにこちらを見ていた。「うちの店はそういうシステムにはなってません。そんなこと知りません」。そりゃそうだろうなと思った。
「いや、実は、この方のお世話をしているNPOの代表で、家賃の保証人にもなってまして、保護費の家賃を払って貰わないと大変なことになります」と説明するが、ご主人にとっては、全くのお門違いの訴えでどうしようもない。「わかりました。いや、僕らもそうかなと思ってました。一応ご本人が『絶対だ』と言うもので。失礼しました」と帰りかけた、その時。「その人、どんな人ですか」とご主人が尋ねて下さった。「身長は160センチないぐらいで、小柄、少しひげを生やしていて。おサルさんみたいな愛嬌のある顔をしています」と答えた。するとそれを聞いていたご主人が「あああ、あの人か」と言い出した。「やはり、ご存じですか」と慌てて尋ねる。「ええ、今、店の奥で呑んでますよ」とご主人。「えええええええええええええええええええええええええええええ・・・・×3」脳髄に衝撃が走ったのを覚えている。
恐る恐る店の中に入る。カウンターの一番奥に三人座っている。その真ん中、見慣れた顔が赤く染まっている。間違いない松ちゃんだ。深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。「松ちゃん、なにをしてるのかなああ。あれれ、なんかおかしいなあ」と、我慢し過ぎてこちらも変なテンションになっている。「あああ、奥田さんやああ、あはは」と松ちゃんは全く屈託なく笑っている。だんだん腹が立ってきた。「あのなあ、奥田さんややないやろ。これは一体どうことになってんねん」と大声になる。松ちゃんは一向にこたえていない様子でコップを離さない。「ともかくもう帰るで」と促すと、松ちゃんは「いま、この姉さんが一杯おごってくれたから、これ飲んだら帰るわ」と隣の女性に会釈した。思わず一発松ちゃんの頭をしばく。帽子が店の中に飛んで行った。谷本牧師が僕を「奥やん落ち着け」といさめる。松ちゃんと言えば全く動じず笑顔で呑み続けている。
「帰る」の声に反応されたのか、店の奥から女将さんが出て来られた。「ああ、お帰りですか。そしたら8300円」。私に金額が書いた紙を渡される。松ちゃんは聞こえないふり。「あのなあ、松ちゃん、これは立て替えられんで。なんぼなんでも」。そして、女将さんに「申し訳ないですが、この人、私の親父みたいな人なんですが、この人の家賃も立て替えさせられてまして、この店の払いまではとても無理です。今日も朝千円貸したばかりでして。今後、この人を連れてキチンと払いに来ます。今日のところはご勘弁を」と頭を下げる。「おおええぞ、付けといて」と松ちゃんが相槌を打つ。もう一発しばいたろか、ほんまに。
引き剥がすようにして店から松ちゃんを連れ出した。車に乗った松ちゃんに「ええ加減にせえ」といつもの10倍ぐらいの迫力で迫ったが、松ちゃんは「さあああ、帰りましょうー!」と元気に手を上げた。本当にこたえない人だ。翌日、再び松ちゃんの今後に関する緊急総合カンファレンスが開かれることとなった。
つづく