松ちゃんと僕らの物語 その7強制退院
ともかく計画通り入院できたのだ。これで安心(のはず)と自分に言い聞かせ車に乗った。帰り道、夕日がやけにきれいだった。しかし、落ちていく太陽を追い越して僕の気持ちは沈んでいった。教会に戻り、一息ついた時、携帯が鳴った。番号は◎◎病院。『はい、はい、わかってますよ、わかってますよ、覚悟はできていますから、今出ます、ちゃんと出ますから』と心を落ち着かせ電話を取る。「はい奥田でございます」「あのー◎◎病院の病棟担当ですが、松井さがおられません。今、看護師で探していますが、見つかりません。ちょっと来てもらえますか」。別に驚きはしない。そんなことぐらいある。いや、ある面、予測通りと言って良い。なんせ、相手は松ちゃんなのだ。でも腹は立つ。「松ちゃん何してくれてんねん。何が海上保安庁や」と吐き捨て車に乗る。
病院は自動車で四〇分ほどかかる。今戻ってきたばかりの道を再び戻る。「松ちゃんめ」とメラメラしながら車を走らせる。もうすぐ到着という時、再び携帯が鳴った。「おられました。大丈夫です」とのこと。松ちゃんは、病院内にある体育館のような場所で見つかったそうだ。何をしてたのか。本人が電話に出た。「あああ、奥田さんや」。「奥田さんやないやろう」。「松ちゃん何してたん」。「いや、病院を調べてただけや」。「病院の何を」。「安全を」。「もうええわ。早よ、寝ろ」と電話を切った。僕は、今日二往復目の帰路についた。
それから数日。実に穏やかな日々が続いた。
入院から一週間になろうとしていた日曜日。礼拝や午後の行事も一段落した頃、病院から電話があった。「あの、松井さんですが、本日退院となりますのでよろしくお願いします」とのことだった。「何かあったのですか」と尋ねると「ええ、いろいろと。ご本人も、帰ると言っておられますので」とのことだった。「それって強制退院ですか」と尋ねると「まあ、そういうことです」とのことだった。電話口に出てきた松ちゃんは「奥田さん。俺は何もしてない。ほんとに」と言う。いつものようなふざけた感じはない。ただ病院側もいい加減なことではここまでしない。こういう時は、事実はさほど意味がない。退院となれば、アルコール依存症治療のチャンスを逃すことになるが、つながりのチャンスを得ることは出来る。入院をお願いしておいて、こういう言い方は申し訳ないが、入院だけではアルコール依存症は治らない。何度もそんな現実を見てきたし、院長先生もそれはよくご存じだったと思う。事件はお互いが試される時だ。ここでどう動くかが、今後の展開に関わる場面である。
そもそも「足りなかった」のだ。あるべきものが僕らと松ちゃんとの間に十分に構築されないまま入院にならざるを得なかった。「そっちに帰っていいか」と松ちゃんは言う。「良いに決まっている。松ちゃん帰るところはここやんか。もう路上はない。それから、これでいなくなったら俺は嫌やから。ものすごく落ち込むから。荒れて荒れて、何するかわからんから。責任取ってや」「そんなん取れん。でも、だったら帰るわ」と松ちゃんは応えた。病院のスタッフに何度も「すいません」と謝った。電話の横にいる松ちゃんに聞こえるように大声で「ごめんなさい」と。
「でも、松ちゃん。僕は、今日は迎えに行かへんで。だから松ちゃん、自分で帰っておいで。待っているから。松ちゃんは、自分で帰らんといかん。僕らは待ってる。だから帰っておりで。お金あるか」「わかった。今から帰る」と松ちゃんは電話を切った。松ちゃんが「帰る」と明言した始めての場面だったと思う。そう、松ちゃんは「帰る」と。
1991年。夜間に中学生がホームレスを襲撃する事件が多発した。被害者の親父さんと一緒に教育委員会や中学校を訪ね、対策の必要性を訴えた。しかし、当時の社会は(今もさほど変わらないが)「ホームレスをしている方が悪い」という空気を漂わせていた。被害者をさらに失望させる社会の現実に僕は絶望した。しかし、その帰り道、被害者である親父さんがこう言ったのだ。「一日も早く襲撃を止めてもらいたい。でも、夜中の一時、二時にホームレスを襲っている中学生は、家があって帰るところがない。親はいても誰からも心配されていないんじゃないか。俺はホームレスだから、その気持ちわかるけどなあ」。その言葉は、その後の僕自身や抱樸の基本的視座を与えるものだった。松ちゃんには「帰るところ」が見え始めている。でも、迎えにはいかなかった。これで自分から帰ってきたら、新しい関係が生まれる。僕はそう思っていた。
陽はとっくに傾いた。バスに乗って一時間。いや、乗り継ぎで多少かかったとしても二時間あれば十分だ。しかし、松ちゃんは、帰ってこない。
信じたい気持ちと「やっぱり」という気持ちが順番に顔を出す。「迎えに行くべきだった」「いや、そうではない。信じるんだ」「でも、早すぎた」「いや・・・」。紋々としながら時間は過ぎて行った。
直接、支援住宅に帰ったのかも知れないと思い訪ねる。いない。その後も何度か見に行ったが、やはりいない。気づけば夜中になっていた。ドアの隙間にメモを挟む。読んでくれたらいいのだが。いずれにしてもドアを開ければ紙が落ちる。帰った証拠だ。
「松ちゃんへ。帰ったら電話ください。奥田」。
つづく