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おバアはんの教え(ロングバージョン)

 「人生山あり、谷あり」ということばがある。「人生は、いずれにしても苦労ばかりだ」と多くの人がこの言葉を使う。コロナ禍がようやく落ち着くかと思いきや、物価高に戦争となり、「踏んだり蹴ったり」の状態となっている。「山を越えたら谷底が口を開いていた」。いや、「山と谷がいっぺんに襲ってきた」ような日々だ。
 

 ホームレス支援の現場で「二度と目が覚めませんように」と祈る人と出会ってきた。家がないだけでも大変なのに、世間から蔑(さげす)まれ、誰の助けもない。二重三重に苦難が襲う時、人は「もう死んでしまいたい」と思う。苦しみは一つだけでも大変だが、それが重なると「もう堪忍して」と言いたくなる。だが、人生にはそんな「バッドなタイミング」が確かにある。多重事故がダブルでやって来た。そんな瞬間がある。
 

 25歳で牧師になった。同時にホームレス支援も始めた。十年後、一念発起し国立大学の博士課程後期に入学した。仕事をしながらの学びは大変だったが「現場と論理」の狭間で充実した日々を過ごしていた。39歳でドイツ公費留学の機会を得た。職場である教会のメンバーは留学には消極的で「そのまま牧師を続けて欲しい」とのありがたい要望が大勢を占めていた。だが、何とか説得出来、帰国後教会に戻ることを約束した上での留学が決定した。その矢先、国会で「ホームレス自立支援法」が成立。市の担当者から「留学を延期してホームレス対策を担って欲しい」と要請が届いた。「留学かホームレス支援か」。心は割れた。ホームレス対策を巡り市側と長く対決してきたが、ようやく届いた市からの提案は画期的で必要なことだった。結果、留学は断念。
 

 しかし、それでは事は治まらない。反対を押し切って留学を決めたにも関わらず、ホームレス支援を理由に留学を断念したことで教会は分裂。ストレスからか「口頭痙攣」という原因不明の呼吸困難になり入院。そして息子は不登校。重なる時は重なるもので、そんな時に「あなたの先祖の祟りが」などと言われるとその気になってしまう。それが人間だと思えた。
 学生時代、漫画「じゃりン子チエ」からいろいろ教わった。こんな場面がある。チエ(チ)とおバアはん(お)の会話である。

(お)そういう(悩み事がある)時メシも食べんとものを考えるとロクなこと想像しまへんのや。ノイローゼちゅうやつになるんですわ。おまけにさむ~い部屋で一人でいてみなはれ。ひもじい・・・寒い・・・もう死にたい。これですわ。
(チ)ウチいややなあ・・・
(お)いややったら食べなはれ。ひもじい寒いもう死にたい。不幸はこの順番で来ますのや。
(チ)こわいっからとりあえず食べよ。

嫌なことが起こる。そのことが頭から離れない。飯がのどを通らない。だからと言って食べないとロクなことを考えない。さらに「ひもじい」「寒い」「ひとりりぼっち」が追い打ちをかけると「もう死にたい」となる。おバアはんの含蓄のある言葉にチエはどうしたか。「とりあえず食べよ」といってラーメンを食べ出す。いろいろ重なって「死にたい」になるのなら、その内一つでも外すこと。問題は解決していないが「死にたい」は回避できる。それが人であり、それが生きることだ。問題がないから生きられるのではない。問題はあっても、それ以外の「重なり」を減らす。それが「死なない生き方」だ。
さらに言うと多重リスクを減らすだけが道ではない。問題はありつつも「それ以外の何か」、たとえば「とりあえず食べとこ」みたいなことがあれば生きられるなら、「それ以外の何か」を増やせばよいのだ。しんどい時、人は問題に一点集中してしまう。一日中「それだけ」を考える。おバアはんが「ノイローゼちゅうやつ」はこのことだ。そんな時は「それ以外の何か」を増やすしかない。問題の何倍も「それ以外の何か」があることで人は「ごまかしごまかし」生きていく。問題を凌駕するような「絶対的に良いこと」でなくてよい。「小さなこと」の積み重ねで十分だ。食べるとか、誰かに会うとか(相談ではなく)、空を見るとか、歌うとか。そんなことに包まれて人は生きる。
画家で作家の星野富弘さんがこんなことを言っている。彼は、24歳で中学校の体育教師になるが、その後、クラブ活動中の転落事故で脊椎を損そうした。以後、ペンを口にくわえ絵や文章を創作し、くの人を励ましておられる。

「今日もひとつ 悲しいことがあった。
今日もまたひとつ うれしいことがあった。
笑ったり、泣いたり、望んだり、あきらめたり、憎んだり、
そして、これらの一つ一つを柔らかく包んでくれた
数えきれないほど沢山の平凡なことがあった」。
(星野富弘カレンダー 絵「日々草」に寄せられたことば)

 悲しいこととうれしいことが人生のメインイベント。それはそうなのだが、「それらを柔らかく包み込む沢山の平凡なこと」もある。「悲しいこと」や「うれしいこと」にだけ集中して一喜一憂すると「沢山の平凡なこと」が見えなくなる。これが「ノイローゼ」。ものすごく狭い思考の中で人は汲々としてしまう。そんな時「ともかく食べなはれ」とおバアはんが励ましてくれる。平凡なことに戻ることで人は生き延びる。
 

 最初に紹介した「人生山あり、谷あり」であるが、本来の意味は「山の頂にいるときと谷間にいるときでは見える景色がちがうように、人生の局面で幸・不幸を感じたり物事の受け止め方や考え方が変わるもの。だから視野を広げて生きていきていこう」という意味らしい。これはおバアはんの教えに通じる。

 「問題は、あります。でも、それだけを考えたらいけまへん。その上、ひもじい、寒い、ひとりぼっちが重なると人は『もう死にたい』と思うもんです。だから、ともかく沢山の平凡なことをちゃんとやること。例えば、ラーメン食べなはれ。人はそうやって生きていきますのや」。
 そんな、おバアはんの声が聞こえる。

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奥田知志
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