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横への成長

 最近やばい。忙しい。出張も多い。会食も急増。ストレスが飲食へ跳ね返る。運動をする時間がない。続けてきたランニング(時々河内の貯水池まで走る)もままならない。ジムに通いたいが、歯医者にも行けない状態だ。結果、私は「横へ」と着実に成長し続けている。60歳を前にして代謝も落ちた。だが人間それでも成長できる。横へ、横へと私は成長し続けている。そんな自分を慰めるため、この文章を書いている。とわいえまじめに書いている。
 結論から言うと「横への成長」は悪くはない。いや、必要。あああ先述の僕の体重の話しではありません。なぜならば、現在の競争社会に生きる多くが「縦への成長」のみを目指しているから。「どれだけ成果が出せたか」。「売り上げを伸ばせたか」。高度経済成長を懐かしみ、右肩上がりが良いことだと思っている。「もっと強く、もっと立派に、もっとたくさん」。「縦へと成長すること」、「上へ、上へと高まっていくこと」を追い続けている。
 それは悪いことは言えない。高い目標をもってチャレンジすることは素晴らしいし、大谷さんのホームランの数が多い方がみんなうれしい。でも「成長」はそれだけではない。「横への成長」があって良い。 
 僕自身もそうだで、人はそうそう向上しない。苦労の挙句、抱樸や東八幡教会にたどり着いた人々もそう。ここにくれば人が変わったように「良い人」になるわけではないし、問題が解決するわけでもない。人として急激に成長し、能力が向上するわけではないのだ。失礼、多少成長はするし、それは良いことだと思う。こんな僕もここに来た30数年前よりも少しは「縦に成長」した、と思う。
 だが、それ以上に成長したことがある。それは「横への成長」である。つまり、周囲の人との関係が広がり続けているということだ。お酒で苦労しホームレスになってしまった人。息苦しさの中で自傷行為を繰り返す若者。ギャンブルに溺れた人。そんな過去を持つ人も少なくない。問題を解決できる能力が身に付いたとか、立派な人になれたとか。そういう「縦への成長」は簡単ではない。相変わらずお酒で躓き、たまに自傷行為をし、ギャンブルもやめられない。だが「横への成長」を遂げた人は、大きく崩れることは「ほぼ」無い。かつてのようにホームレスになることは「ほぼ」ない。
 福祉の父と呼ばれた糸賀一雄は、「縦の発達、横の発達」と語っている。「横の発達」は、能力が上へと伸びるということではなく横へと広がることを「発達」として捉えるということ。発達段階や能力が同じままでも、同じ能力を発揮できる場面や関係が広がること、あるいは発達段階の高次化が困難な重度障害児の「発達の無限の可能性」を示す概念だと言われている。これは重度障害児に限らず成果主義の現代社会にしのぎを削る多くの人にとって重要な視点だと思う。
 そんなわけで僕は今日も「横へと成長」した。出張先で、会議や講演会で多くの人と出会った。おいしいものをいただけた。そうそう縦には伸びない僕だが確実に身も心も「横へと成長」し続けている。それでいいのだ。

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奥田知志
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