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ボランティアとは何か―夢と使命

この間、抱樸ではボランティア講座が開催されている。今日は「伴走型支援とは何か」というテーマで講座が開かれ15名ほどが参加された。抱樸のボランティア登録者は現在2700人。
ボランティアは、ラテン語の「決意する」(VOLO)から派生した「自由意志」(VOLUMTAS)に由来する言葉だとされている。「自分自身の意志」が重要で他人に言われてやるようなことではない。
長年ボランティアとして現場に関わってきた。「すべて自分の意思で行ってきたか」と問われるとはなはだ心もとない。「やりたくない、関わりたくない」と内心「意志が表明」される日も少なくなかった。「自らの決意と理想に燃えて活動するのがボランティア」と言われると「そうかな」と思い「心配」にもなる。
ボランティアのみならず「仕事」も同じように思う。「自分のやりたい(意志)仕事に就くことが一番幸せ」と言う。そういう仕事に就ける人は少ない。だからそんな仕事に就けた人は「幸せ」なのだと思う。「この仕事は小さい頃からの夢でした」と笑顔で語る人は確かに幸せそうだ。「夢が叶う―自己実現」は人にとって「幸せ」そのものである。
だとしたら一層僕は「心配」になる。なぜならば「意思」や「決意」、つまり「自分」に根拠を置くことが「不安」だからだ。「自分の意志」がどれほど脆弱かを知っている。そんなものに依拠しても長続きはしない。「あの頃は決意に燃えていたのになあ」としばしば思う。燃え盛っていた「決意」はいつの間にか下火になり、気づけば燃えカスに。早ければ数年でそんなことになる。ボランティアも仕事も恋もそんな感じ。
だから僕は「夢」を大事にしつつも「使命」ということ考える。「使命」は僕の「決意」を超える「大いなる意志」のようなものから示される。僕の場合、キリスト者なので「神様」ということになる。「宇宙の意志」や「大自然の意志」など、人それぞれで良い。肝心なのは「自分の意思」を超えるものが「やりなさい」と言っていると信じること。実際にはそんな声が聞こえるはずはない(聞こえていたらすぐに医者に行った方が良い)。だが「やりたい」「やりたくない」という自分の「決意」や「意志」を越えなければならない時がある。「夢」が「やりたいこと」だとすると「使命」は「やらねばらならないこと」。だから「夢」を追いかけつつ、人は「使命」生きる。
僕は子どもたちにこう語る。「やりたい仕事に就くことも大事だが、やらねばならない仕事と出会うことはもっと大事」。「イヤイヤやれ」と言っているのではない。でも「いやでもやろう」と思えることはある。僕の場合「こんなしんどいことさせやがって。神さまのバカヤロウ」と「大いなる意志」に愚痴をこぼしながらやってきた。
ボランティアとは?という問いの前で僕はそんなことを考えている。

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奥田知志
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