松ちゃんと僕らの物語 その6 入院
(松井さんが、野宿を脱し、支援住宅に入って数か月が経った。しかし、酒にまつわる事件が多発。断腸の思いで入院をすることになった。さて、どうなるか。)
翌日、松ちゃんは現れた。さすがに神妙な面持ちで。「これからどうするの」と尋ねる。無言。本人もどうしていいのかわからない状態なのではないか。松ちゃんには、自分が悪いことをしたという認識はある。飲んでいなければ実に気の優しい聡明な人。自立支援住宅入居時の聞き取りでは、「学生の時は、悪さばっかりしてだいぶ叱られた。勉強しなかった。試験の前の日には魚釣りに行っていた。だけど『お前が普通に勉強していたら東大でもいけたのに』とよく言われていた」と語っておられた。東大はともかく、時折、松ちゃんが全部分かった上で「やらかしている」ように感じられる時があったのは事実だ。無茶苦茶をする松ちゃん。それに右往左往する僕ら。それら全体を俯瞰して見ている松ちゃん。そんな風に感じることがしばしばあった。それは私たちを「試している」ようでもあり、「楽しんでいる」ようにも感じた。
「松ちゃん。ともかくお酒が問題やと僕は思う」。「そうやなあ。確かに酒飲むと大変な目に遭うからなあ」「あのね、大変な目に遭ってるのはこっちの方」「あははは、そうそう・・・」。どうしてもこうなってしまう。本当に不思議な人だ。
思い切って切り出した。「松ちゃんの状態は、お酒が好きとか、嫌いとかというレベルではないと思う。これはアルコール依存症という立派な病気です。お酒を止められなかったり、飲んでわけのわからない行動をとったり、記憶が曖昧になったり。これらはすべてこの病気の症状だと思います。例えば風邪を引いてくしゃみが出る。我慢しても出る時は出る。病気の症状だから仕方ない。くしゃみばっかりする人に『あなたくしゃみ好きね』とは言わない。『風邪ひいたの』と聞くやろ。アルコール依存症も同じ。これは『あなた、お酒好きね』という問題でもなければ、我慢すれば飲まないで済むというものでもない。松ちゃん病気の時はどうする」。「病院に行く」「そうそう、正解。病院に行かないと治らない。だから病院を探そうと思うけど、どうや」「そうやなあ。しゃーないなあ。入院するかあ」と決して乗り気ではないが本人も考え始めている様子が伺えた。不承不承ではあったが、本人承諾の上で病院探しが始まった。数日後、これまでお世話になったある病院が引き受けてくれることになった。
明日入院という前日、松ちゃんを訪ねた。「どうしてる。まさか飲んでないよね。お医者さんから、飲んで病院にきたら『治療する意思なし』と見なし入院は取り消しになりますって言われてるで。大丈夫かな」。「奥田さん。大丈夫。大丈夫。大船に乗った気持ちでいてくださいね」と松ちゃんは笑った。確かに飲んでいない。においもしない。このまま上手く入院できるかも、と望みが膨らむ。「じゃあ、明日、朝8時30分に教会に来て。そのまま病院にいくからね」と伝え入院の支度を手伝い引き上げた。支援住宅を出たところでしばらく様子を伺う。部屋の電気が消えた。「ああ、寝たな」と安堵する。ただ、帰りの道々「大船に乗った気持ちでいてくださいね」と笑う松ちゃんの笑顔が何度も頭に浮かんだ。夜風が妙に生暖かった。
翌朝。もう一人の付き添いであるボランティアの三浦さんは緊張した面持ちで8時過ぎには教会に到着していた。僕らは、準備万端で松ちゃんの到着を待つ。来ない。10分経過、来ない。20分経過、やはり来ない。支援住宅に迎えに行こうかと思うが、いやここは我慢、我慢。30分経過、「やっぱりダメか」と思った時、松ちゃんが現れた。昨夜二人で準備したボストンバックを下げている。「おおお、来たな」と言うと「当然や」と言わんばかりに松ちゃんはVサインを返してきた。
しかし、近づいてきた松ちゃんは匂った。確かに臭い。焼酎だ!この臭いは。「松ちゃん飲んだな」と聞くと松ちゃんは再びVサインで返してきた。「あほか。何がVサインや。ともかく車に乗って。はい、乗って、乗って」と急かす。松ちゃんを載せた車が動きだした。「奥田さん。飲んでたら病院ダメなんと違うの」と松ちゃんが尋ねるので「そうやで。飲んでたら 『治療の意思なし』と見なされ診てもらえない。松ちゃん本当に治す気あるの」「あるある」「二回言うな。本当にあるの」「ありますです」「『です』はいらない」。
松ちゃんを載せた車は、ある場所を目指していた。実は、こういう事を想定して待ち合わせ時間を朝にしていたのだ。入院のための診察は午後2時からと指定されていたが、僕らは松ちゃんが飲んでしまうことも想定し、あの時間に待ち合わせをした。車はある目的地に向かってスピードを上げる。異変に気付いた松ちゃんが騒ぎ始める。「奥田さん、こっちは◎◎病院と違うで」。「大丈夫、大丈夫。大船に乗った気持ちでいてくだいね」とVサインで応えてあげた。
向かった先は温泉。午前中から開いている温泉を事前に調べていた。「はい、到着。入院の前にまずお風呂に入りましょう。大船ではなく湯舟ね」と車を降りる。松っちゃんはといえば大笑いしながら「あああ、やられた、やられた」と喜んでいる。「はい、そこの人!よろこばない!」
お湯はたっぷり、お客も少ない。松ちゃん対策にもってこいの温泉だった。松ちゃんは5分もすると「さあ、上がるか」と湯舟を出ようとする。それをもう一度お風呂の中に引っ張り込む。「松ちゃん、あかん、あかん、早い、早い。もっとつかりなさい」。松ちゃんの額から汗が流れ始める。「あの汗は焼酎の味がするんだろうか」と禿げ頭を覗き込む。かれこれ2時間。出たり、入ったり、出たり、入ったりを繰り返した。酒抜きお風呂タイムは続く。松ちゃんは「かんべんしてよ」と笑っていた。それはこっちのセリフやっちゅーの。ついでだから全身隅から隅まで完璧に洗ってあげた。ピッカピカの松ちゃんが出来上った頃、三時間後、ようやく何とかなりそうと思える「レベル」となる。
風呂から上がり一緒にご飯を食べて午後1時「さあ、いざ出陣。病院をめがけて突撃」と号令をかける。「おおおお!」と松ちゃんが鬨の声を上げた。午後2時前、私たちは、予定通り病院の受付の前に立っていた。「勝った」と僕は思った・・・のだが。
診察が始まった。担当は、良く知っている院長先生で松ちゃんは、先生の前、その真後ろに僕が座った。精神科、特に依存症の場合、問診で身体の事のみならず、生育歴や職歴など個人史なども尋ねられることが多い。僕たちも自立支援住宅入所の折、松ちゃんから詳しくこれまでのことを聴くことになっている。アセスメントの内容は本人の承諾の上で生活保護のケースワーカーとも共有されるので、それに間違いがないことは、私たちも知っていた。しかし、その後の医師とのやり取りが、これまた実に松ちゃんらしいことになる。
「ええ松井さんですね。まず、お生まれはどちらですか」。「東京の下町です」。えええ、松ちゃん昭和14年中国の生れでしょうが。お父さんは満州鉄道社員。「どんな、仕事をされてきましたか」。「海上保安庁が長かったかなああ。日本の安全を守っていました。船はいいです」。ええええ中国の旅順から引き揚げて、働きだしたのは十九歳、大阪の鉄工所でしょうが。その後八幡に来てからも鉄工所。どっから「海上保安庁」が出てきたの・・・。本人にわからないよう「違います」と医師にサインを送る。先生はそんな僕をみながら笑っておられた。でも、本人が言う度にカルテに何やら記録されいた。その後もわけのわからない話しが続き、問診は四十分に及んだ。でも入院となった。やれやれ。それにしてもあの先生がどんなカルテを書かれていたのか正直見てみたかった。
部屋に入り、僕らは、もってきた着替えなどを病室のタンスに片付けた。別れ際「松ちゃん、大丈夫やろね」「いや、大丈夫、大丈夫」「二回言うなて。なんせ海上保安庁やからな」。「あははは」と松ちゃん。「松ちゃん、日本の安全よりも自分の安全を守ってくださいね」というと松ちゃんは、Vサインを掲げ「大船に乗ったつもりでいてくださいね」と笑顔で返した。これ知ってぞ。この場面見たことあるぞ。デジャブか。「これってやばいヤツや」と僕はつぶやいていた。
つづく