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言いたいことが言えなくなったのは

今日は、自分の心に浮かんできた感情への気づきについてですが、内容的に少しネガティブなことを書きます。

とは言え、最終的には整理がついていい心持ちになりそうな気がするのと、感情自体はネガティブだとしても、それをフラットに気づけたという内容になります。恨みつらみを並べるわけではないという部分は、いつも通りご安心いただけたらと思います。

充実した日々に混じったノイズ

昨年は、自分軸に目覚めた年。さらに、noteを始めたことで、メンバーシップの方たちを中心に価値観が近い方たちとのやり取りが多くなり、かなり充実した日々を送っていました。

そんななか、先日受けた指紋+生年月日(と時間)診断のために、母親に産まれた時間を確認し、この話はさらっと終わったと思っていました。その日の夜に父から電話が来て、「出産のときの話なら自分が詳しいから」と意気揚々と30分以上エピソードトークを繰り広げられました。

面白おかしい話ならいいのですが、基本的に「俺凄いだろ」という自慢話口調でずっと話し続けます。なぜ、自分がコミュニケーションや伝え方をちゃんとしようと思ったのか、思い出しました。

わたしも確かに「わかってほしい・かまってちゃん」気質なところはありますが、誰にでも見てほしい・わかってほしいという気持ちはありません。そして、自分のことを知ってほしいからこそ、先に相手のことを知りたいという気持ちがあります。

一方、父は自分の価値観を押し付けるだけで、相手のことは調べようとしない。これこそがわたしがリテラシー向上を掲げる原点になっているのだろうなとも思いました。

と、ここまでは今までもわかっていたことでしたが、今回、ふと違う気づきがあったので、もう少し踏み込んで書いていきたいと思います。

「恩義」の拘束力

わたしは、割と自分が好きなことを思いっきりやらしてもらい、実際にやってきたという想いはあります。

そんな傍若無人、わがまま属性のわたしが、なぜ言いたいことが言えないタイミングがあり、挙句の果てに適応障害にさえなってしまったのか、そのヒントを垣間見た気がしました。

それは「恩義」です。こと、論語的教育を受けてきたわけではないのですが、少し王道を外れても筋は通すという生き方をいつの間にか信条にしてきたわたしにとって、それは父であり、あるいは社長であり。
返報性の法則と言い換えてもいいかもしれません。

自分が生きていく環境において、大きな影響力を持っている人に意見を言うことをどこか押し殺して来たように感じます。
今回の電話も正にそれで、普通であれば関わらないようにするタイプの人に恩がある状況そのものに抵抗があり、上手く言えない自分に気がつきました。

そして、在籍している会社で、社会人生史上初めてトップとの距離が近くなった今、この感覚に陥ったのは久しぶりであり、この空気感を覚えるのは父だけになっていた事実に気がついたのでした。

何とか、今の会社のメンバーや取引先など、この一年イライラを変な風に出さずにうまいこと関係を保ててきたと思うので、父に関してもうまくやれたらいいなと思います。

と同時に、恩があるのも事実ですし、感謝しているのも恩返ししたいのも事実ですが、「家族だから仲良くしなきゃ」みたいな想いに囚われ過ぎていた気もします(これに関しては子どもたちに関してもそうですね)。

家族だからと言っても、当然自分自身ではない。近い存在でも、近い価値観とは限らない。とは言え、孤独な存在というわけでもないという、わたしが想い描く人生観に沿った上で、心地いい付き合い方を模索していけたらと思います。

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灯火 @ココロ・カタチ・ヅクル「リ・キュレーター」
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