日本の研究力低下のウソとホント③
医学系以外の研究力低下の要因
さて、これまでの大まかな話の流れは「十分な選択と集中はすでに起きており、大学に対して、特に医療系対して集中が起きている」、「雑用が増えたのは医学系のみ」というデータから「誤った投資の結果」研究力がマクロでは低下しているということでした。
医学系の論文割合が半分以上を占めているということもあり、医学系の研究環境の悪化が「研究力低下」の一応の要因として説明がつけられます。
しかし、「インパクトのある論文数」が減っているという点では医療系は元々研究力がそこまで高いわけではない。
むしろ「それまで力があった分野の影響力が落ちている」という方が影響が大きい。
大学はそもそも教育機関であるため「教育を雑務と呼ぶのは研究力低下以前の問題」で、それ以外の要因を考えると、先の議論で影響を受けるのは資金のみです。
では資金を与えると良くなるのか?と言われるとそうはならないでしょう。つまり「研究の質」の悪化の方が原因としては大きい。
ではその質の悪化の原因は何でしょう?
能力自体は劣らない日本の若手と流出
この研究力低下の指標は「所属大学」でカウントされます。つまり、「日本人」の研究力の低下ではなく日本の「組織」の研究力低下です。
肌感覚として日本の博士課程の能力はあまり海外の人材とそん色はありませんし、海外で活躍している人も多い。
その意味において、日本人の研究力はそこまで下がっているわけではない。
この資料を見ると若手の数と研究の質は相関があることがわかり「若手の流出」が大きな原因であることがわかります。
色々な資料を読むと若手を国内に留めるような取り組みをしようとしています。例えば金銭とか。
では、若手を国内に置くことで良い研究成果になるか?
答えは残念ながらNOです。それは若手が海外にでないといけない「理由」が関係しています。
研究の世界では「世界の有名研究室→日本へ凱旋」というのが鉄板コースになっています。そこで「研究ネタ」を持ち帰ることで世界最先端の研究を日本に持ち帰れると。
印象としても国内にいるよりもなんとなく「海外の大学のほうがすごいことしてそう」というイメージもあるかと思います。
武者修行やコネづくり的な意味合いもあるにはあるのですが、どちらかというと、明治時代から続く「海外に勉強しに行く」という「脱亜」志向が脈々と受け継がれているわけです。
その証拠にいまや中国はアメリカに匹敵する研究大国なのに中国へ行く若手は多くありません。
ある程度息の長い分野ではいいのですが、最近は情報化や中国などの後発国の発展によってスピードが早くなっていることもあり、特に人工知能や生物系のような「鮮度」が命の分野では、こうやって持ち帰った研究トピックはすぐに注目度を失っていきます。
つまり「そもそも若手に海外に出てネタを持ち帰ってもらわないと研究ネタが出来ない」という国内環境の事情が存在し、それ故に「若手は海外に出ないといけない」。
そして、国内に残っても「ろくな研究をしていない」という問題があるわけです。
解体される「オリジナル」な研究
この「脱亜」志向の伝統がある分野は「独自の研究が苦手と白状している」ようなものです。この伝統がある分野や大学(つまり東大なんですが笑)はいつまでたっても「海外のフォロワー」、「二番煎じの研究」ということを暗に示しています。
持ち帰ったトピックを発展拡張できればいいのですが、そうでないことはこのデータが示しています。
逆に国内で完結しつつ、世界的な成果があるところこそが真に「研究力がある研究分野」ということになりまして、これは日本の製造業の強みとも同値で、論文のインパクトとも相関が見れます。
こういう分野では国内に若手が残っても、ある程度のに成果を残し続けられますし、その強みを活かし続ける環境が整っています。
一方でこういう分野は「海外のフォロワー」にとっては「国際的でない」「世界でやっていることと違う」という評価になり徐々に解体されてきいきますし、若手も若手で「こんな旧態依然の研究はダメだ」と思だてしまう。
こうやって「海外のフォロワー」が増えれば増えるほど、徐々にインパクトのある研究ができなくなるという研究力の低下につながっていくわけです。
まとめると「日本に残ってもフレッシュな研究が出来ない」環境とそうでなくてもそう思い込んでしまうメンタリティが日本の研究力を削いでいるといっても良いでしょう。
憧れの原因
これは研究に限らず日本経済や企業全てにも言えることで、日本企業も優秀なところは優秀なんですが、金銭含めてなんとなく海外のほうがすごいと思ってしまう。
人材育成でも問題になっているんですが、「せっかく育てても優秀な奴が外資に引き抜かれてしまう」という悲しい現実にもつながっています。
大谷選手ではないですが、「海外を羨むことを辞める」というのが全てにおいて重要です。
ではなぜ「憧れるのを辞めない」のでしょう?
本来研究というものは常識を疑い、権威に挑戦し、批判的に検討し、検討されることで研究は進んで行くわけなので現在なような「追従や憧れ」は本来研究にはあってはならないものです。
最後に憧れの根底にあるものとその対応を考えていきます。
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