日本の研究力低下のウソとホント②

現場の研究者の意見として研究力低下の原因は「雑用」、「選択と集中」、「研究費」があげられています。その中で「選択と集中」が一つの原因としてあげられてそうということを書きました。

次はこの選択と集中とその他の研究力低下要因2ついてあれこれを考えてみます。

研究にける選択と集中

研究では常に「選択と集中」に対しての批判が起きます。ではばら撒きをすればいいのか?というのも常に疑問になってきます。

一方で前回の記事で見たように今現在の選択と集中は「分野への選択と集中」であったり「一部の個人や学校への選択と集中」であったりします。

私個人としては「選択と集中」自体は間違っているとは思いません。成果を出すためにまとまった投資はやはり存在します。選択と集中はいわば株式投資における「ポートフォリオ」みたいなものです笑

例えば元々そんなにお金のいらない理論物理や数学者に数千万円の研究資金を渡したところで使い道はポスドクを雇う人件費にしかなりませんが、逆にこれから最新の顕微鏡を買って新しい研究分野を切り開こうとしている医学系の研究者に数千万円は一瞬でなくなる金額です。。。

研究者に平等に資金を与えるのはこういった資金の必要性もあって現実的ではない。

そのため”適切”な選択と集中が必要になります。では適切とは何か?

分野による選択と集中

先の記事にも述べたように主に医学系への「選択と集中」が起きているのが見えてきますし、最近の大学では猫も杓子も人工知能で人工知能への「選択と集中」も見受けられます。

人工知能は昨今の流行りなのである程度の投資は仕方がないのは確かです。一方でこれまでも「過剰投資による人材ダブつき」が起きているのも確かで、様々な博士課程が路頭に迷いました。直近ではバイオ系のピペット土方ですね。

本来博士課程は人材育成も兼ねてますので10年20年先の必要な人材を育てないといけない。
いわば長期的に研究成果がプラスになるように「人材とスキルのポートフォリオ」の最適化していくのが本来の「適切な」選択と集中と考えます。

つまり株式でのポートフォリオ見直しが必要な様に研究においてもニーズや情勢にあわせて適切なポートフォリオ見直しが必要です。

分野による選択と集中は株式に例えると「不動産と新興国株」に短期で全資産投入しているみたいなものです笑。それが結果としてどうなったのかはいうまでもありません笑

一部の個人や学校への選択と集中

「人材とスキルのポートフォリオ」の最適化という点からこちらの集中について考えてみます。

大学というのは様々な分野を組み合わせて研究団体として成立しているので、いわば「投資信託」のようなものです。逆に一部の個人は「個別株」のようなものですね。

投資と見立てると「一部の個人や学校への選択と集中」はあながち間違いでもないですが、適切な管理が必要なのがわかります。

個別株は「適切なデューデリジェンス」と「適切なリスク管理」のもとであればおおきなリターンが得られます。華々しいベンチャーのように急成長する株もあるし、逆に失敗して大損こく場合もある。いずれにしても適切に管理しないとリスクが大きくなります。

「大学」という投資商品をみていると日本の大学自体に大きなリスクが存在するのがわかります。

海外の大学ではそれぞれの大学に「強み」があります。アメリカでいうとジョン・ホプキンスは医学系が強く、イェールは文系学問が強い。MITは技術系は世界一で、、、と大学にも様々な特色があります。

日本は「東大」が大体全部満遍なくなってて、それ以外の大学は劣化コピーしかない、みたいな状況です。ある程度旧帝大は差別化できている部分もありましたが、段々と東大色が強くなっている。その意味でどこに投資しても全部「外国株投資信託」みたいな状態と行ってもいいでしょう。

今の日本の研究における選択と集中は投資でいう「卵を一つのカゴに盛っている」状態と言えます。こう例えるともうバカの極みなんですが笑、まあそれが日本の研究力とも直結しています。

教育専任教員問題

研究の負担として教育の負担が大きいという声がありまして、教育専任の教員の充実が議論されてますが、絶対にこれが実現されません笑
それは「ポスト」という硬直した人事制度にあります。

大学は当たり前なんですが「定員」があります。教員もFIXです。すると当たり前なんですがただでさえ少ない研究者のポストを増やそうとします。なので教育専門教員を雇用する議論になってもことに反対します。

もう一つ、研究者の価値観として教育は「雑用」と思っている節が強いので、教育専門を見下していますし、教員側もそんな見下されて雑用を一手に担う係にはなりたくありません笑

雑用問題

さて、雑用はトータルとしては実はあまり増えていないことを見ましたが、医学部だけは例外でした。これ何が起きているんでしょう?

これは大学病院の存在が大きく関わってきます。

大学病院のスタッフと大学病院は実は同じ人事制度で成り立っています。それ故に全員が大学病院の勤務医であり、研究員であるという状態になっています。

一方で少子高齢化などの影響もあり高度医療のニーズが一層高くなっている。民間の病院もすぐに大学病院を推薦する場合も多く、大学病院は常に人手不足です。

そんな職場に研究職がいたらどうなるかというと、当たり前ですが診療の手伝いに回されます。企業において「研究職が号口開発させられてる」という会社研究職あるあるなことが起きているわけです。

じゃあおサイフを別にすればいいじゃないと普通の会社の人は思うんですが、大学は旧態依然な法律で色々定められてしまっている面も強いため、中々難しい部分もありますがただの馬鹿です笑

変わらない大学変えられない大学

というわけで、色々研究力問題を見てきましたが、マクロで見る結論は「旧態依然な組織体制」とその組織への「リスクアセスメントゼロの全力一点集中投資」が原因のようです。

よそからみたらやってることは「ただのバカ」なんですが、大学は色々な伝統やら(特に医学系は戦前の体制が司法取引などで完全にリセットされなかった部分も多いため、旧態依然の組織体制が残ったままです)によって硬直した組織運営を変えることができません。

そしてその中に長年いるとそれが当たり前になってしまうのでそれ以外の選択肢が取れない。そしてそういう人が偉くなっているので硬直した組織がずっと維持されるという凋落した日本企業あるあるなことが起きているわけです。

代表例が東芝ですね笑

大学の厄介なところは東芝は問題が起きたら勝手に潰れるだけなんですが、大学は潰れるにも潰せない。

その意味において大学は何をどう頑張っても組織運営を変えない限りはそのまま凋落していくことでしょう。

それをどう変えるかは大学の先生方と国にガバナンス次第です。

そしてもう一つの問題へ

今回の問題は一般的に言われる「選択と集中」、「雑用」、「教育デューティ」について見てきて、それが日本の研究力全体に与えた影響を見ました。

その文脈において「医学系」においての研究力低下要因を見ましたが、それ以外の分野の凋落は「資金不足」以外に説明がつきません笑

医学系よりも資金がかからない研究分野は多く存在するわけで、資金が必ずしも主要因ではない。

これらの分野はただただ「研究力」自体が低下しているとも言えます笑

お次はその原因を探っていきます。


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