【viva不登校】誰もが持つ「天才性」という光の先にある世界
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正直「天才」という言葉には前々からアレルギーがあった。「そもそも何をもって人を天才と位置付けるの?」心の中に湧き上がる苛立ち。それは何かといえば、天才を語る時、必ずと言って良いほど「周囲との比較」つまり相対性のという中で周囲より秀でている、突出している、とされることだ。
そもそも人って皆ユニークで、皆突出している。比較ってくだらない。
そんなふうに思っていたからだ。しかし、この筆者の考えは違う。
「天才性」とは、個人が生まれた時に授かっている、他者とまったく異なる特性のことである。天才性は個々人に特有で1つとして同じものがない。(著者書籍より抜粋)
本当にそう。誰しもが生まれながらに持っている。
・「生き物に対して強い想いがある子」
・「色に強いこだわりがある子」
・「地図を一日中眺めていられる子」
子供たちの思考や行動はユニークで飽きない。
そして、この書籍には「天才」をこのように表現していた。
天才=「①天才性を知ること」+「②天才性に忠実に生きること」である。
これを見て、そうだ!と思ったのは「②天才性に忠実に生きること。」子供は誰しもが自分の「天才性」に忠実に生きたいと思っている。しかしながらそれを邪魔するのが、社会の古い仕組みや慣習、あるいは周囲の大人たち、特に親がその筆頭ではないだろうか。自分はそう思う。1人の親として日々の自戒を込めて。そんなことはない!という親御さん、ごめんなさい。
でも、多くの親は「自分の叶えられなかったことを」期待という言葉に置き換えたりする。あるいは社会性という錦の御旗のもと、子供たちの「天才性」を閉じ込めようとしたりする。
そう考えると、私の母は素敵すぎた。(今思えば超絶すごい)
私は「昆虫」が大好きな子供だった。小さな木造のアパートのベランダには「ザリガニ」「オタマジャクシ」「トカゲ」「カブトムシ」「ゲンゴロウ」等、思い返せば、季節ごとにたくさんの昆虫がいた。
毎日外に出ては「昆虫」を取ってくる。「昆虫」自体を嫌がる親も多いはずだ。加えて、お世辞にも立派とは言えない小さなベランダで育てようとする。それを全て笑顔で許してくれたのは他ならぬ母であった。川に行って泥だらけになって取ってきたザリガニを嫌な顔ひとつせずに、台所にあったプラスチックの容器に入れてくれた。カエルを取ってきた時には、一緒になって餌になるハエを取ってカエルに食べさせた。(今考えると驚愕、母まじ神)
自分が「天才」だというつもりはない。しかし自分の子供の頃の想い出の残像には、私のそういった好奇心からくる行動に寄り添ってくれた母がいた。そのことによってその当時の自分の「天才性」は保たれ、それに忠実に生きることができていたと、今更ながら回想する。
この書籍は子育ての本でも何でもない。ただし「個の時代」と言われて久しい今この時代、一人一人に宿る「天才性」を描き出したこの書籍は、子育て、就職、学生生活、独立、会社、さまざまな角度から入っていける良書だと思う。
これ以上はネタバレになるので、詳しくはこちらの書籍に。私は速攻購入し、速攻読んでみた。
viva不登校。