ゆるゆる読む京極杞陽 #04 昭和14年
昭和14年(1939年)は杞陽が31歳を迎えた年。この年の項には2つの追悼句が収められている。
訃報を前にして、何もできないし、何も言えない。そのありようが書かれている。
この年の7月、神戸へ船旅をしている。
ホトトギスのイベント「日本探勝会」で有馬温泉に行ったのだ。横浜から客船・鎌倉丸に乗った。往路は25人の大所帯で、船上句会も催されたという。
非日常の光景にしなやかに反応してみせた。反射神経のよさを感じてまぶしく思う。
ホトトギス昭和14年10月号に吟行の様子を振り返る座談会が掲載されている。俳人たちの作品だけからはわからない部分が見えて、いま読んでも面白い。
座談会のメンバーは、虚子、杞陽、立子、年尾、真下喜太郎、池内友次郎、上野章子。虚子一族のなかに杞陽がひとり入っていた。
掲句はいずれも座談会で取り上げられていたが、「汽船極端」は「船極端」という表記だった。推敲したのかもしれない。
この句も昭和14年なのだった。
浮き沈みする小さな人形(浮沈子)が儚くかわいらしく見えてくる。汽船の句もそうだけれど、ものを描くというより、ものに反応する人間心理を描出している。
※『くくたち(上・下)』は東京四季出版編『現代一〇〇名句集④』で読んでいます。引用は新字体です。年齢は満年齢です。