tomosada kota

友定洸太です。俳句をつくっています。

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最近の記事

ゆるゆる読む京極杞陽 #11 昭和20年

昭和20年(1945年)の収録句数は107句。戦時下の日常を描いた句をはじめに挙げる。 空襲を避けるための暗幕だろう。身を守るために息を潜めていなければならないような暗い状況にありながら、それでも生活を続けていく人間の姿が見えた。 東京大空襲は昭和20年3月10日。同年5月25日にも大規模な空襲があった。掲句はその間の時期に置かれている。 兵庫県豊岡の家を詠んだ句だ。豊岡には家族がいる。離れがたい気持ちがくちなしの香りとともに俳句に定着している。 意味深な前書も印象深

    • ゆるゆる読む京極杞陽 #10 昭和19年

      昭和19年(1944年)の収録句数は99句。 音に注目したのが細かくて面白い。猿の体の軽さを感じる。 いろいろな芸を観ただろうに結局心に残ったのはその音だったというのがまさに俳句だ。 杞陽は東京で生まれ育ったが、旧豊岡藩主の家の当主だった。昭和18年11月に兵庫県豊岡の家へ家族を疎開させ、自身は東京で宮内省の仕事を続けていた。 掲句は子どもの癇癪をリアルに書き留めている点が魅力的だ。投げたものが飛んでいった先が雪というところから家屋の様子が目に浮かぶ。そして雪に落ちた

      • ゆるゆる読む京極杞陽 #09 昭和18年

        昭和18年(1943年)の収録句数は82句。 平らに均された無人のテニスコートと照りつける強い日差し。映像がぱっと立ち上がってくる句だ。 テニスをしにきたというより、たまたまコートに行き着いた様子を想像した。よそもの的なものの見方だ。 歩くでもなく、食べるでもなく、何もしていないときの馬の姿が捉えられている。 こちらも〈只ある〉の句といえるかもしれない。 テニスコートの句と違うのは、馬には命があるということだ。月見草がやさしい。 秋の灯の句、慣れない場所で待たされ

        • ゆるゆる読む京極杞陽 #08 昭和17年

          『くくたち』下巻は、上巻から約1年を空けて昭和22年4月に刊行されました。昭和17年から昭和20年の句が収録されています。 昭和17年(1942年)の収録句数は78句。 俳句に描かれる人と作中主体の関係性がじんわり伝わってくる。 1句目のスキーヤーと作中主体はたまたますれ違っただけの薄い関係かもしれない。にもかかわらず、雪山で同じ時間を過ごす「同志」感がある。一方、2句目のスケーターと作中主体の間には演者と観客のような関係が生まれている。 スキーヤーもスケーターも技術

        ゆるゆる読む京極杞陽 #11 昭和20年

          ゆるゆる読む京極杞陽 #07 『くくたち』上巻 おかわり

          今年1月から京極杞陽の第一句集『くくたち』をゆっくり読み進めています。 編年体の句集で、上巻は昭和11年から16年まで、下巻は17年から20年までの句を収録しています。 これまで上巻の句を1年につきおおむね5句ずつ取り上げてきましたが、もうすこし上巻から紹介していきます。 杞陽の句を読んでいると「ああ、見ているなあ」という静かな感想を持つことがある。 見ている時間を感じさせる書きぶりなのだ。風車の句は〈まり〉〈かに〉〈はり〉の韻も効いている。 この句には「いるなあ」

          ゆるゆる読む京極杞陽 #07 『くくたち』上巻 おかわり

          ゆるゆる読む京極杞陽 #06 昭和16年

          昭和16年(1941年)の収録句数は46句。 描かれている人間が魅力的だ。 1句目、秋の夜長に人から「構想」を聞いている。成し遂げる前の段階を描くことで滑稽味を出しながらも、その人への敬意や愛着も同居するとてもキュートな句だ。 2句目、場面としては女性が離席しただけなのだが、「たばこを消して」に自らのタイミングで立った感じを受け取った。 「季節めぐりて」に驚いた。「や」「けり」の併用もある。型破りな句の作り方だ。 内容にも魅力を感じた。籐椅子が絶妙で、過去にその椅子

          ゆるゆる読む京極杞陽 #06 昭和16年

          ゆるゆる読む京極杞陽 #05 昭和15年

          昭和15年(1940年)の収録句数は54句。 機嫌のいい句だ。 お店でこれから食べるのかもしれないし、通りを歩いていて看板が目に入ったのを書いただけかもしれない。 河豚そのものではなく文字を句材にしたことで、食文化単位で面白がっているようにも読めてくる。 〈まつぴるま〉も楽しい。まるで昼間の河豚はいけないみたいだ。 忌日俳句なのに笑ってしまった。そのまんまである。 けれども、亡くなった時代との時間的な距離を測り、その遠さを認めながら想う真摯さもうかがえる。 近世

          ゆるゆる読む京極杞陽 #05 昭和15年

          ゆるゆる読む京極杞陽 #04 昭和14年

          昭和14年(1939年)は杞陽が31歳を迎えた年。この年の項には2つの追悼句が収められている。 訃報を前にして、何もできないし、何も言えない。そのありようが書かれている。 この年の7月、神戸へ船旅をしている。 ホトトギスのイベント「日本探勝会」で有馬温泉に行ったのだ。横浜から客船・鎌倉丸に乗った。往路は25人の大所帯で、船上句会も催されたという。 非日常の光景にしなやかに反応してみせた。反射神経のよさを感じてまぶしく思う。 ホトトギス昭和14年10月号に吟行の様子を

          ゆるゆる読む京極杞陽 #04 昭和14年

          ゆるゆる読む京極杞陽 #03 昭和13年〔30歳〕

          昭和13年(1938年)の収録句数は76句。 雪崩によってもたらされた衝撃の大きさが伝わってくる。 句集冒頭はスキーの句だったから、雪崩も間近で見たことがあるのかもしれない。 〈巨きく巨きく〉のリフレインや〈鳴りどよみひんひんと〉の思い切った字余りが、雪崩を書き残そうとした気持ちに適っていたのだと思う。 略年譜から計算すると、杞陽には当時3歳と0歳の子どもがいた。0歳のお子さんはその年の1月に生まれたばかりなので、蜂を恐れているのは3歳のお子さんだろうと想像できる。

          ゆるゆる読む京極杞陽 #03 昭和13年〔30歳〕

          ゆるゆる読む京極杞陽 #02 昭和12年

          昭和12年(1937年)の収録句数は52句。 明治41年(1908年)生まれの杞陽にとって、満年齢で29歳、数えで30歳を迎えた年だ。 文体が多彩だ。 1句目、「その日々の」の導入が新鮮。80年以上前の表現だとは。むかし住んでいた家を思い出しているのかもしれない。 2句目、3句目、どんな景色を見ているのかはわからないけれど、感覚や感触は確かに手渡される。 漫画みたいな「ギューッ」が楽しい。特に「ッ」がいい。これも昭和12年の表現だ。 「ギューッ」には、わずかではある

          ゆるゆる読む京極杞陽 #02 昭和12年

          ゆるゆる読む京極杞陽 #01

          俳句を始めたころ、歳時記の例句のなかでもとりわけ京極杞陽の句が好きだった。 俳句はこんなふうに軽くてもいいのかと思った。 今でもその気持ちは変わっていないが、最近になって気になり始めたことがある。「俳句人生のトータルとしてはどんな作品を残してきたのだろうか」ということだ。作品以外に発揮された振る舞いがどんなものだったかも知りたい。 まずは第一句集『くくたち(上・下)』を読んでみることにした。 収録句数は1000句以上らしい。急がずゆるゆる読み通していければと思います。

          ゆるゆる読む京極杞陽 #01

          2023年の俳句活動記録

          1月 川嶋ぱんださんのnoteに朝活俳句アワード2022受賞作品として5句掲載。 しりとりに喇叭ふたたび石蕗の花 2月 IRORIネプリに5句と島津亮作品鑑賞が掲載。 バレンタインデー森の写真に立ち止まる 週刊俳句 第825号に小川楓子さんの句集『ことり』出版記念トークイベントのレポートが掲載。 現代俳句 2月号に現代俳句協会青年部勉強会「俳句研究賞を読む」(前編)のレポートが掲載。 3月 俳句展望 第198号に全国俳誌協会第4回新人賞鴇田智哉奨励賞受賞作品とし

          2023年の俳句活動記録