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目の前の場とクリエイトする感覚を持つとワクワクする

ついつい、目の前のタスクに意識が引っ張られてしまうワタクシ。
目の前に同僚がいてもオフィスでは、タスクを優先して挨拶を端折ってしまうこともしばしば。

先日、ふとした瞬間に自分の悪癖を痛感し、もうそれは止めようと決意しました。もっと自由に、もっと自分らしく、目の前の人を大事にして行こうという、そういうお話です。


デスクワークで企画書の作成中、体の疲れを感じてふと息をつくと、トイレに行きたくなった

執務スペースからドアを隔てた廊下に出て、50mほど先にトイレがある。トイレを済まして、手を拭いて廊下に向かう。頭の中では、資料の内容をどうしようか思考が回っていた

トイレの出口に差し掛かったところで、左手から女性が歩いてくるのが目の一番端に入った。何となく同じチームの後輩に似ていたが、まったく別の業務を担当しているので接点は薄く、共通の話題は少ない

仮に彼女だったとしてもあまり話すことはないので、そのまま視線を送らずに右に曲がって、彼女に背を向け廊下を歩き始める。

歩いていると後ろをついてくるのが気配で分かる。エレベーターの方にも曲がらなかった時点で、同じチームの後輩であることが確定

流石に、無視したみたいでマズったなー、と思い開けたドアを押さえながら、ようやく声をかけたのでした。

こういうパターン、ちょこちょこやってる自覚があって、独立を控えた今、なお更にいかんことに思えた。

場づくりなども仕事にして、共創を生み出したいと思っている。場づくりはその場の流れを感じてやるものだけど、自分のいる空間をすべて場と捉えた時に、会社のトイレ前でやったことはそこに繋がらないこと。場として捉えられていない

場として捉えているならば、誰かと思わぬタイミングで出会ったとしたら、その瞬間からその人自身と向き合い、その人と一緒により良い場を創るつもりで挨拶し、会話をする。

相手が人でなくてもいい。自分のいる空間を場として捉えた時に、陽射しや風、植物や虫なども相手となる。

そんな風に思うと、自分はまだまだ出来ていない。目の前のヒトやコトをまっさらな状態で捉えることが出来ておらず、場を感じられていない

これは良い気づきだった。

気づいた後から目の前の人との場を意識するようにしている。「この人とはどんなことを一緒に創れるだろうか」。そんな感覚で相手と向き合う。

そうしていると、何かワクワクする感じというか、楽しくなる感覚が湧く。ワクワクが湧く(←言いたかっただけ笑)。

相手の人が自分の期待とは違う動きをすることがあっても、「おお、そうきたか。じゃあ、どうするか」と応じるようになった。

何というか、、、とりあえず健全だ、これは。

お互いにゆとりのある関わりになるし、相手も楽しそうにしていることが多い。

この感覚をもっと研ぎ澄ましていったら、どんなことが起きるのか、楽しみだ。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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