母親に適応障害を打ち明けた話
以下記事の後日談です。
適応障害になってから1ヶ月半、ついに母に話すことが出来ました。
ずっと話すことが出来なかった。
心配かけなくなかったから。
いい大学を出た立派な息子でありたかったから。
東京で働く誇れる息子でありたかったから。
一人前の大人でありたかったから。
乗り越えて、年末笑って帰省したかった。
忙しいけど上手くやってるよって。
姪っ子にお年玉あげたりなんかして。
でも、出来なかった。
もう無理だと思って、ついに打ち明けた。
そしたら、
「なんでもっと早く言わないの。」
「早く帰っておいで。」
「顔を見ないと安心できない。」
「あんたは頑張りすぎるから。」
「無理して働くことないって前から思ってた。」
25歳になる息子が泣きじゃくって、
もはや経緯なんて1割も話せてないのに、
全部察してるかのように
誰かに言って欲しかった言葉をくれた。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
また立ち上がれるようになるまで、
もう一度甘えさせてください。
ありがとう。
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